旅レポート

平戸大橋 展望台、最教寺、六角井戸、松浦史料博物館

長崎県平戸市にある松浦史料博物館
葉菊青山銭紋散花亀甲蒔絵女乗物

昨晩の平戸公園第1駐車場です。

平戸大橋がライトアップされていました。

そして今日の朝です。雨があがりました。

平戸公園第2駐車場に行ってみました。ここは午後10時でゲートを閉めるとかいてありました。トイレは、和式が1で多目的に洋式があります。

遊具があります。子供を連れてくるにはいいところだと思います。

ここの駐車場から歩いて平戸大橋 展望台に行きます。

5分ほど歩くと、きのこみたいな建物が見えてきました。展望台です。

逆光ですが平戸大橋がよく見えます。

平戸港と平戸城です。

田平港です。

続いて、平戸市の最教寺です。参拝用の駐車場に車を駐めて石が敷き詰められた参道を登っていきます。

千手観音などの石像がたくさん並んでいました。

昭和63年(1988年)に建てられた三重大塔です。三重大塔としては、日本一の規模を誇ります。

デザインがスッキリしていると思ったら、二手先ですね。

最教寺にある高野山奥之院金胎寺です。慶長14年(1609年)平戸松浦家26代法印鎮信によって建立されました。参拝を終えて駐車場に戻ろうとしたところ雨が降ってきました。どんどん激しくなって車に着く頃には本降りになりました。

平戸市にある平戸交流広場駐車場(2時間無料30分毎100円)に行きました。高さ制限が2.1mと書いてありました。自車(2.4m)でも入れそうな感じなのですがやめました。隣に大型車専用の駐車場がありました。こちらに駐めさせてもらいました。ただし、2時間無料で2時間過ぎると500円だと言われました。

平戸温泉うで湯あし湯です。ナトリウム炭酸水素塩泉で、炭酸水素イオンが1,334mgと豊富です。とろみがありそうです。

道路脇にこのような石像が立っています。フランシスコ・ザビエルです。

平戸にポルトガル船を導いた貿易商の王直です。

六角井戸です。

本当に六角形をしていました。井戸の水面が地面と同じくらいのところにあると思っていたところ

足元から水が湧き出ていました。

湧き出た水は、写真奥の穴に排水されるように作られていました。

松浦史料博物館600円(JAF540円)です。

平戸松浦家第25代領主 松浦隆信(道可)です。

この地図の⑤と⑥を見ます。

右は、鯖の尾馬印(さばのおうまじるし)と呼ばれるもので、戦場において本陣(当主)の所在を示すために用いるものです。この馬印は、鯖の尾をモチーフとしています。中央は、三星紋入金箔空穂(みつぼしもんいりきんぱくうつぼ)と呼ばれるもので、松浦家36代11代藩主)の松浦曜(まつら・てらす)の代に使用した品です。空穂とは矢を収納する道具です。

色々威腹巻(大友腹巻)です。

大哉具足です。松浦家29代天祥鎮信(4代藩主)愛用の具足です。

三星梶葉紋糸巻太刀拵(みつぼしかじのはもんいとまきたちこしらえ)です。本当にこのような長い名前で呼んでいたのでしょうか。

「おい、俺のみつぼしかじのはもんいとまきたちこしらえを持って来い」

「は、みつぼしかじのはもんいとまきたちこしらえでございます」

と言った感じでございましょうか。

歴代の平戸藩主が使用した陣羽織類です。

この阿弥陀仏は、平安時代中期の僧である源信が彫刻したものと言われています。

松浦棟肖像(まつら・たかししょうぞう)です。

幕府中枢との関係をもって、焼失してそのままになっていた平戸城の再築城を特別に許可された人です。父は松浦鎮信(天祥)です。

伊能図 平戸周辺(大図)です。

長崎図(伊能大図)です。

伏見城金箔瓦です。

平戶藩9代藩主 (松浦家 34 代)松浦静山の收集品です。

明治天皇に関係する品々です。明治天皇の母方の曾祖父さんが平戶藩9代藩主 (松浦家 34 代)松浦静山に当たります。

鄭 成功に関する展示品です。

山鹿素行肖像です。山鹿素行 (元和8年(1622年)-貞享2年(1685年)) は江戸時代の儒学者で兵学者です。松浦家第29代鎮信(天祥)は、慶安4年(1651年)江戸の板倉重短邸での出会いを機に、以後500回余りにわたり往来し素行と親睦を深めました。

葉菊青山銭紋散花亀甲蒔絵女乗物です。天保2年(1831)、松浦家第36代曜に嫁いだ丹波篠山藩主青山下野守忠裕の息女イサ姫の輿入道具です。

後醍醐天皇綸旨(相知文書)です。

後醍醐天皇が足利氏を討つように松浦一族の相知氏(蓮賀)に命じたときのものです。

德川家康朱印状です。

松浦家26代 松浦鎮信(法印)あての文書です。内容は、関ケ原の戦いで石田三成率いる西軍に加担しなかったのを賞された朱印状になります。

バテレン追放令です。

天正15年(1587年)、秀吉が島津氏攻路の帰路、博多で突如発布したキリシタンバテレン追放定書として有名な文書です。この禁令は日本国家がはじめてキリスト教の禁止を天下に表明したもので、全文五か条からなります。はじめの三か条でキリスト教の伝道を禁じ 20日以内に宣教師の日本退去を命じ、つづく二か条には布教に関係のないものは来住、通商を許可するとの内容になっています。

関舶模型です。

蒙古襲来絵詞 松浦家本です。

平戸藩9代藩主(松浦家34代)松浦静山が模写させ入手した品です。錬倉時代中ごろの蒙古(元)の日本水攻において、文永の役 文永11年(1274年)では平戸近海が襲われ松浦党(一族)数百人が討たれました。

長い巻物を観ていて、 松浦市立埋蔵文化財センターで見た「あれ」があるのではないかと探しました。

ありました。「てつはう」です。

御所人形(十二支人形)です。

孝明天皇から与えられた品になります。

奥に見えるのは小牧長久手・長篠合戦図屏風です。静山が文政8年(1825年)から同年12年にかけて旧知の犬山城主成瀬隼人正正寿から成瀬家所蔵の屏風を一扇ずつはがして借覧し、模写したものです。

平戸松浦家に関する資料館でしたが思っていた以上に面白かったです。特に孝明天皇に関わる資料や、蒙古襲来絵詞にある「てつはう」を観ることができたのが良かったです。

この建物の奥にある茶室閑雲亭です。

呈茶料は600円(お菓子付き)でした。今回は遠慮させていただきました。駐車場に戻る途中にふたたび雨となりました。

平戸市にある平戸ザビエル記念教会を観るために平戸教会駐車場に行ったのですが、雨は、ますます勢いを増しバケツを引っくり返したような雨になりました。

ナビが黄色く点滅しているので何事かと見てみると災害速報という文字とともに災害が起きそうなところを指し示していました。初めてみました。しばらく駐車場で待ったものの雨はやみそうもなく諦めて戻ることにしました。

せっかく来たので、平戸オランダ商館の前を車で通ることにしました。写真撮影は助手です。板で作ったハリボテみたいに見えますが本物です。

雨はしばらく降り続きそうでしたので、今日の予定はここまでとし、昨日お惣菜が美味しかった平戸市のたけだ スピリッツでお昼ごはんと夕食の食材を調達し、昨日駐まった平戸公園第1駐車場に戻りました。

今日のお昼です。ここのお惣菜は添加物をほとんど使っていません。書いてないだけではないのかと思ったのですが、食べてみると、添加物をほとんど使っていないことがわかります。美味しいです。自分の麻婆豆腐も美味しかったです。

ご満悦おばさんは、焼肉炒めです。野菜炒めが大好物のおばさんは、もちろん、ご満悦のご様子でした。

お昼を食べ終わって気づいたのですが、ここの駐車場には食事を提供しているところがあります。

たこ焼きなどの軽食だろうと思っていたところ、「駐車場にあるお店とは思えないくらい美味しい料理を提供している」との口コミを発見しました。

お店の正面のよく手入れされた芝生にあるテーブルでいただくこともできそうです。今日のお昼は美味しいお惣菜を食べることができたので良かったのですが、次回は、このお店でいただこうと思います。

午後になって、ようやく晴れ間が見えてきました。

今日の温泉は、平戸市 ホテル彩陽 WAKIGAWA 600円(17:00から)です。

所感:典型的なホテルの温泉です。以前はサウナと水風呂があったと思われるのですが今は使われていませんでした。タオルを貸してくれます。貸し切りで入ることができました。

温泉諸元 泉質:ナトリウムー炭酸水素塩泉(低張性 弱アルカリ性 温泉)、加水 あり、加温 あり、濾過循環 あり、消毒 あり、pH不明、源泉温度 35.5℃、メタけい酸 不明、炭酸水素イオン 1334.0mg、内湯1(20㎡)、洗い場9ヶ所、とろみ度 なし、気泡 なし

平戸公園第1駐車場に戻ってきました。

車の後ろ側は、このような感じです。芝生がきれいです。

では、また明日です。

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