旅レポート

満蒙開拓平和記念館、祥雲山 瑞光院

長野県阿南町にある祥雲山 瑞光院

本日のサマリー

74日目:長野県下條村〜愛知県利根村

走行距離 56.9Km

今日は、満州という新天地に夢と希望を抱いて渡り、その後、悲しい運命をたどることになった「満蒙開拓団」について詳しく学びました。

道の駅 信濃路下條の朝です。

曇りです。これから天気は下り坂のようです。

出発前に道の駅のお店が開いたので、ご満悦おばさんが「よもぎっ娘」と団子を買ってきました。よもぎっ娘は、想像した通りの草餅でした。もうひとつの、団子の方は、昨日、これを買い求めに来た人が2人もいて、さぞかし美味しいのだろうと思ったのだそうです。醤油味の団子でした。自分たちは「よもぎっ娘」の方が好きでした。

阿智村にある満蒙開拓平和記念館の駐車場に車を駐めました。記念館の隣りにあります。

満蒙開拓平和記念館600円です。

中国東北部に、かつて13年間だけ存在した幻の国「満州国」に関する資料を展示した施設です。(写真禁止であったため写真はありません)

昭和4年(1929年)の世界大恐慌で、それまで日本の輸出の約半分を占めていた絹糸の価格が大暴落します。また、農作物の不作もあり農家の収入は著しく減少しました。

そこで政府は、その農家の救済のため、およびソ連軍の侵攻を防ぐために満州開拓政策を打ち出し、日本から約27万人の農業移民が「満蒙開拓団」として渡りました。青少年義勇軍まで含めると約32万人もの人々が移住しました。中でもここ長野県は開拓団員、義勇軍隊員数ともに一番多く送出した県となりました。

海を渡った人たちの中には、実情をよく理解せず行った人や、望まずして行くことになった人も少なくなかったようです。また、満州では、もともと住んでいた住民の耕作地を安価な価格で買い取るなど、原住民から恨みを買うようなこともやられていたようです。

そのような中、昭和20年(1945年)8月9日のソ連軍が侵攻してきます。守ってくれるはずの関東軍は秘密裏に南部に避難を済ませていましたが、住民はそれを知りません。そこから混乱と避難の日々が続きますが、開拓団27万人のうち8万人が命を落としたと言われています。

これまでに観てきたこの手の施設は、歴史を美化して事実をそのまま伝えるようなことはしないのが普通だと思っています。ところが、ここは、当時の資料、避難をしてきた方々の証言などを使って、当時の現状をわかりやすく、かつ生々しく伝えていました。

満州国については、理想郷を構築するという良い面からのイメージが強かったのですが、実際には、非人道的なことも行われていたのだということを知ることが出来ました。

自分たちにとって、勉強になる施設でした。(資料のほぼすべてに目を通しましたので、所要時間は2時間10分でした)

今日のお昼は、下條村にあるお食事処 東山でいただきました。

肉野菜ラーメン(醤油味)1,000円です。野菜がたっぷりで美味しかったです。ここのお店は味噌ラーメンが美味しいらしく、肉野菜ラーメン(味噌味)にすればよかったと思いました。

その後、阿南町にあるショッピングランド ナピカで食材を調達しようと思いましたが、買いたいものは、あまりありませんでした。

阿南町にある祥雲山 瑞光院(しょううんざん ずいこういん)の駐車場に車を駐めました。

祥雲山 瑞光院です。

扁額は、なんと佐藤栄作さんの書になっていました。

三門は、銅板葺入母屋妻入、扇垂木、二手先、木鼻は獏でした。

本堂は、桟瓦葺き唐破風向拝付き入母屋造妻入でした。

龍の彫り物が美しいですね。木鼻は獅子と象でした。

阿南町にある道の駅 信州新野千石平に立ち寄りました。

新野の雪祭り(国の重要無形民俗文化財)に登場する最も位の高い神様「幸法」(さいほう)のモニュメントがありました。

愛知県豊根村にある道の駅 豊根グリーンポート宮嶋に着きました。レストランと売店は3日後の4月3日にオープンするようです。

今日は、ここに泊まります。

では、また明日です。

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