コラム

意識と外界の境界(その2)

目の前で、ある「事実」が起きているとします。この「事実」は自分の外の世界(外界)で起きていることです。

この外界で起きている「事実」が外界と意識の境界を越えて人の中(意識)に入ってきた時にそれは「真実」となります。

「真実」は、目の前で起きたことを目撃しているのですからその人にとっては嘘偽りのない本当のことなのです。個人単位で言えば「事実」=「真実」なのです。

しかし、同じ「事実」を目撃しているにも関わらず、人それぞれが抱いている「真実」は同じとは限りません。むしろ違っている場合の方が多いと思われます。

それは何故か?

意識と外界の境界面にある「何か」が違うからです。

通常、人はその「何か」を意識することはありません。したがって目の前で起きている「事実」を「真実」と受け取ります。

その「何か」の存在を意識した時、人は覚醒するのだと思います。(完全かどうかは別として)

例えば、昔はネットがありませんでした。周りで起きていることを知るためにはTVのニュースや新聞などのマスメディアを通して知るのでした。メディアの言っていることは、すべて「真実」だと思い疑う人はあまりいませんでした。その後、インターネットが普及し人はSNSなどを通して「事実」と「真実」の違いに気づき始めます。今ではマスメディアが偏向報道することは一般に知られるところとなりました。

「事実」≠「真実」

その覚醒の役に立っていたはずのSNSも、今回のトランプ大統領のアカウント永久剥奪を通して目に見えぬ「何か」であることに気づいた人がたくさんいると思います。

また、目の前で起きていること「事実」をメディアやネットを通さずに直接見ているにも関わらず、人それぞれの「真実」が違うのは、これらの媒体以外にも「何か」が存在していることを意味します。

それは何か。

完全な答えではありませんけれども、そのひとつに「感性」があります。

自分の「感性」を信じて今のアメリカの大統領選を視るとするならば、すでに敗北したかに見えるトランプ大統領は実は圧倒的に優位であり、次期大統領になるのは間違いなさそうに視えます。

それはまるでオセロがすべてひっくり返るかのように。

意識と外界の境界とは何でどこにあるのか、これは永遠の課題のような気がしています。

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