旅レポート

岩村歴史資料館、岩村城跡

岐阜県恵那市にある岩村城跡の六段壁

本日のサマリー

63日目:岐阜県恵那市

走行距離 44.3Km

今日は日本三大山城のひとつ、岩村城跡を観ました。またまた雪の山城となりました。

道の駅 そばの郷 らっせぃみさとの朝です。晴れました。

土手の雪もかなり溶けています。石垣の雪も溶けていることに期待したいです。

ただし、気温がすごく低くて、車もバキバキに凍っています。

ミラーにもふさふさの氷が付いています。

 

助手
助手

今日は、岩村歴史資料館を観てから岩村城跡に登ります
そのあと、岩村城下町(重伝建)を観ます

隊長
隊長

過去の投稿は見たのかな?

助手
助手

あっ、岩村城下町観てた
岩村歴史資料館も観てる
でも、写真撮影禁止だから記録は残っていない

隊長
隊長

まあ、岩村歴史資料館は、城を観る前にもう一度見ておこう

助手
助手

それにしても、岩村歴史資料館を観て、どうして岩村城に行かなかったのかな?

 

恵那市にある岩村歴史資料館駐車場に車を駐めました。前回は、ここまで来て、ここが城趾だと思ってしまったようなのです(笑)


岩村歴史資料館300円(JAF240円)です。前回、ここに来たことは覚えていますが、中はまったく覚えていません。佐藤一斎に関する史料に興味があって、その資料を中心に見たのだと思います。「佐藤一斎って誰?」という方は、次の投稿をご覧ください。

老にして学べば、即ち死して朽ちず少にして学べば、即ち壮にして為すこと有り 壮にして学べば、即ち老いて衰えず 老にして学べば、即ち死して朽ちず 佐藤一斎が書いた言志...

前回、ここに何があったのか記録が残っていませんでしたので、あった資料をざっと書いておきますと、佐藤一斎、下田歌子、三好学の資料、岩村城の地図、文久2年1862年に徳川幕府洋書調所から刊行された日本初の英和辞典(初版は200部発行で日本に現存するのは6冊)などがありました。

城に登る前に資料館の裏にあるトイレに行きました。ここは覚えていました。

便器の前にこのようなシールが貼ってありました。男性諸氏には、おなじみの「一歩前へ」ではなく、これでした。思わず、にっこりしました。

ご婦人方には、わからないかもしれませんね。

ここの入口にあった佐藤一斎爺の像です。佐藤一斎は、西郷隆盛に影響を与えた人です。自分は、吉田松陰を調べていて、その師匠の佐久間象山を知り、さらにその師匠の佐藤一斎を知りました。

駐車場を出て歩いて岩村城に登ります。

城に登る前に岩村城(いわむらじょう)について調べたことを書いておきます。興味のある方は、下記をクリックしてください

岩村城とは…

岩村城は、鎌倉幕府御家人加藤景廉の長男遠山景朝が鎌倉時代初期に築いた、別名「霧ヶ城」とも呼ばれる中世の山城になります。以来、戦国時代まで遠山氏による治世が続きました。

戦国時代も終わりに近づくと武田信玄配下の秋山信友による攻撃が続きます。しかし、織田信長の配下となっていた、時の岩村城主 遠山景任(かげとう)は、城を守り抜きました。

景任が病死すると信長は自分の五男の御坊丸を養子として送り込み未亡人となった遠山夫人を後見人としました。この遠山夫人は信長の叔母で、この時から実質的に女城主となりました。

元亀3年(1572年)武田信玄は上洛の前哨戦として、ふたたび秋山信友に岩村城攻めを命じます。信友は持久戦に持ち込んだため、岩村城の形勢は次第に不利になっていきました。その状況にこれ以上の抵抗は不可能と見た遠山夫人は、自分との結婚を条件とした信友の和議も申し出を承諾します。

信玄没後の天正3年(1575年)長篠の合戦で武田勝頼に勝利した信長は嫡男の信忠に大群を預け岩村城を攻めさせました。この時、城方は防戦したものの勝頼からの支援もなく、「開城すれば城兵は助かる」という信長からの和議を受け入れます。

自分の命と引換えに城兵が助かるのであれば降伏した信友ですが、城兵たちは甲府に引き返す途中、待ち伏せしていた織田軍に皆殺しにされてしまいました。

そして、信友と女城主の遠山夫人は、長良川の河畔で逆さ磔に処されてしまうのでありました。

その後、城主が次々と変わり特に森蘭丸をはじめとする森氏の時代に近代城郭へと変貌を遂げました。

岩村城は、奈良県の高取城、岡山県の備中松山城と並び、日本三大山城の一つとされます。

登り口です。雪が気になりましたが、降りてくる人の話では気を付けて登れば大丈夫とのことでした。

ここからは、ギャラリー形式で掲載します。(クリックで大きく出来ます)

特に、六段壁が素晴らしかったです。

無事、降りてきました。

駐車場に着きました。所要時間は、1時間50分でした。

雪で石垣がよく見えませんでしたので、また来たいと思います。ただ、雪がなければ六段壁の写真は六段には見えなかったかもしれないので、雪の岩村城を観ることができてよかったです。今回の旅では、日本三大山城のうちの2つの雪景色を観ることができたということで運がよかったのかもしれません。

今日のお昼は、恵那市にあるラベンダーでいただきました。

大えびフライ&唐揚げ1,500円です。

唐揚げは、衣が薄く、肉は柔らかくジューシーで、味は絶妙に薄く、肉の味を堪能すると言った味付けでした。食べているうちに唐揚げの下から塩コショウが出てきましたが、何も付けないでいただくのがよいと思いました。こういう味わい方もあるのだなぁと勉強になりました。満点を10点とし「中津からあげ 総本家もり山 三光本店」を9点とする唐揚げ採点基準に基づけば8点と言ったところでしょうか。帰ったら、真似してみたいと思いました。

一方、大えびフライが、ホットドックみたいです。この時点で、衣の厚みが厚くて、エビは細いのだろうと思いました。失敗したかなぁ〜と。

ところがどっこい。

上部はタルタルソースで見えませんが、下の方の衣の厚みをご覧ください。薄いのです。ということは、この太さが、ほぼえびなのです。

えび喰ったぁ〜感、満載のえびフライでした。今まで食べたえびフライで一番、えび喰った感が強かったかもしれません。ちょっと興奮してしまいました。

今日のご満悦おばさんは、デミソースハンバーグ定食950円です。普通に美味しかったそうです。

すいぶん素っ気ない感想ですが、今朝の夫婦喧嘩の余韻が残っていて、まだご立腹おばさんなのかもしれません。お姉さんがきれいでしたからね。(こんなこと書くから喧嘩になるんですよね)

自分は会計の時に、幸せ感満載で、お客さんが多いにも関わらず、「すっごく、美味しかったです。また来ます」と言いました。ご満悦おばさんが、びっくりするくらい大きな声でしたので、「何を言い出したかと思った」と笑ってました。

ここのお姉さんがきれいだったからでなく、本当に美味しかったのです。正直に言うと、お姉さんがきれいだったので、声が大きくなったというのもあります。へへ。

恵那市にあるスーパーマーケットバロー恵那店で食材を調達したのち、

恵那市にある大江戸温泉物語 恵那峡700円(本日祝日のため1,000円)に行きました。

所感:白タイル貼りで銭湯のような感じの温泉です。設備的には特徴がないのですが、お湯が変わったお湯です。今までになく苦いです。成分的に、カルシウム、ストロンチウム、塩化物、臭素イオンがかなり高めです。この成分ならこの値段もありかなと思いました。

温泉諸元 泉質:カルシウム・.ナトリウムー塩化物温泉(高張性 弱アルカリ性 低温泉)、加水 なし、加温 あり、濾過循環 あり、消毒 不塩素系薬剤、pH7.7、源泉温度 31.9℃、メタけい酸 22.7mg、炭酸水素イオン 3.1mg、ナトリウムイオン 2304mg、カルシウムイオン 5031mg、ストロンチウムイオン 37.9mg、塩化物イオン 12890mg、臭化物イオン 35.8mgラドン ーx 10^-10Ci/kg、内湯1(18㎡)、露天1(8㎡)、洗い場11ヶ所、とろみ度 なし、気泡 なし

恵那市にある道の駅 そばの郷 らっせぃみさとに戻ってきました。

ここは、Wi-Fi環境も問題なく、夜は車が少なくなり、トラックも離れており、寂しくもなく、落ち着ける道の駅です。

今日も、ここに泊まります。

では、また明日。

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