岐阜県美濃加茂市にあるこびの天狗山
60日目:岐阜県美濃加茂市〜岐阜県可児市
走行距離 22.4Km
今日は、明智光秀が過ごしたと言われる明智城跡などを観ました。

道の駅 みのかもの朝です。曇っていて暗いです。右の方がトラックの駐車エリアで中央から左が一般車なのですが、トラックエリアがいっぱいなのか左の一般車のところにもトラックが駐まっています。トラックの運転手さんは大変だろうなぁと思います。こういう方々のおかげで日本の物流は成り立っているんですよね。感謝、感謝!

写真中央の建物がトイレです。トイレが遠いと歯を磨くのも一仕事です。

すぐ隣が、東海環状自動車道のサービスエリアに付属する駐車場です。こちらは比較的トイレに近いです。もちろん一般道からは入れません。

美濃加茂市にあるこびの天狗山(荒薙教)第一駐車場に車を駐めました。ここはこびの天狗山荒薙教(あらなぎきょう)と言って神仏習合の形態を色濃く残す神道系の宗教施設です。荒薙教を参拝する前に、周りにある寺社から参拝しました。

境内を少し降りたところにある白山神社です。

由緒がありましたが、御祭神は書いてなかったように思います。

清開山 大徳院です。

祀られていますのは不動明王、恵比寿、大黒天、弘法大師、成田不動尊の御分霊だそうです。

天狗山庭園です。庭園と言ってもこのような感じのところでした。時期によっては花が咲いているのかもしれません。

荒薙教は、天狗を神の使いとするため天狗像がいろいろなところにあります。中でもこの大天狗は高さ12m余りあり日本一の大きさを誇ります。

こんな感じで、いろいろな天狗がいます。

ここには毛利山城があったようで、その石垣の礎石に使われていた石がありました。

荒薙教です。

確かに神道系にしては、お寺みたいですね。

内部は、このような感じでした。

正面には天狗のお面がたくさん飾ってありました。
かなり変わった神社でした。

美濃加茂市にある小山寺(しょうざんじ)の駐車場に車を駐めました。

このお寺にあるカラフルな幕は、五色幕と言って仏教の寺院であることを表し、釈迦如来の説いた教えを広く宣べて流布させることを表しているのだそうです。

ちゃんと阿吽になってました(笑)

橋を渡って小山観世音を参拝します。

以前は川原を歩いて観音堂のある巨岩まで行っていたようですが、昭和13年(1938年)にダムができるに当たり、この橋ができたのだそうです。この周りはダム湖なのですね。

小山観世音です。

銅板葺唐破風向拝付入母屋造で、見た目は神社ですね。

美濃加茂市にあるMEGAドン・キホーテUNY 美濃加茂店に車を駐めさせていただき、食材を調達する前に、歩いて今渡ダム(いまわたりだむ)を観に行きました。

曇っていて、「何だこれは?」の写真になってしまいました。堤高34.3m、堤頂長308.0mの重力式コンクリートダムです。

右側に当初から存在す今渡発電所と

左側に途中で追加された美濃川合発電所があります。関西電力株式会社の水力発電専用ダムですが、上流での水力発電によって変化した河川流量を自然の状態に戻して下流へ放流する逆調整の機能を担うダムでもあるようです。明るかったらもう少しかっこいいダムに撮れたと思うのですが、ごめんね。

今日のお昼は、可児市にある道の駅 可児ッテのナチュラル キッチンでいただきました。

鶏ちゃん焼(けいちゃんやき)定食980円です。

甘い味噌で味付けをした鶏肉です。キャベツが甘くてご飯が進みます。

ご満悦おばさんも同じものです。
が、こちらの方がお肉が多いのではないかと思われます。
ご飯の神様、たまには自分にも微笑んでいただけると、とても嬉しかったりします。このままだと、ご満悦おばさんが巨大化して健康に差し障りがあるかと思うのであります。よろしくお願いします。パン パン(←顔がじゃなくて、二拍手の音です)

可児市にある明智城跡駐車場に車を駐めました。

天龍寺です。

ここには明智光秀の位牌(184cm 日本一の高さ)があります。

しかし、「拝観は終わりました」と書いてあり拝観はできませんでした。

明智氏歴代之墓所(明智光秀の墓ではない)を参拝して、ここをあとにしました。

明智城跡を観に行きます。明智光秀が生まれ、落城するまで30年間を過ごしたと言われる城です。弘治2年(1556年)、明智光秀の叔父にあたる光安が城主である時、稲葉山城主斎藤義龍の攻撃を受けて落城したと言われています。

大手門跡です。冠木門が建っていました。

4本の竪堀がありました。写真には3本が写っているはずなのですが、立体感が無くてまったくわかりませんね。

帯曲輪です。ちなみに帯曲輪というのは、城の主要な曲輪の周りに帯状に造られる細長い曲輪のことです。

当時からあったのかわかりませんが、石畳を歩いて城跡を周ります。「明智光秀も歩いたのだろうね」と話をしながら歩きます。

この上が中の丸です。正面は切り岸になっているのですが、そう見えませんね。切り岸というのは、曲輪の斜面をさらに急になるように削り取ったものです。

中の丸の上です。

明智光秀も
この景色を観たんだろうね
えっ、今の住宅じゃん

七ツ塚です。弘治2年(1556年)の明智城での合戦の際に戦死した明智方の将7人を葬った場所という説があるらしいです。

明智光秀像です。

明智城本丸跡です。


ここには展望台がありました。

現在、明智という地名はないのですが、可児市北東部から御嵩町西部にかけて「明智荘」という荘園が存在していたそうです。この明智荘は明智氏代々の所領であり、ここから一望できます。

おもちゃ工場が見えますね(笑)

十兵衛坂を下って降ります。

白い旗が見えているところが腰曲輪です。よくわかんないですよね。

水の手跡です。山に立てこもる時に重要になる水を調達するところです。

竪堀です。明智城内で初めての竪堀発見となった竪堀だそうです。

堀切です。

ちょっと寄り道をして、乾曲輪を観に行きます。

まったく虎口に見えない虎口です。

六親眷属幽魂塔(ろくしんけんぞくゆうこんとう)です。
六親とは、父、母、兄、弟、妻、子など親族のすべてを指すのですが、ここでは、明智一族・家の子郎党を指すものであると推測されていました。
この塔は、わずかばかり頭を出して、ほぼ埋まっていた状態で見つかっています。当時、こんな塔を建てたことが見つかってしまったら、逆臣(主君にそむく臣下)に味方する不屈者として重き処罰を受けていたところ、当局の目を欺く形で明智一門の霊を慰めていたのは、明智城主が善政を施して領民が深くその徳を慕っていた何よりの証拠だと書いてありました。
前回の旅から、いろいろなところで明智光秀のことを慕う領民の姿を見かけています。明智光秀、実はいい人だったのかもしれないと思っています。

話が長くなりましたので、ここからは簡単に、ここは乾曲輪跡です。

その乾曲輪の下に降りて切り岸を観ていますが、この写真ではまったくわからないかもです。

裏門にあたる搦手門跡です。

道路に出ました。

駐車場に戻ってきました。所要時間は、約1時間(天龍寺含む)です。

可児市にある道の駅 可児ッテに戻ってきました。
今日は、ここに泊まります。
青空が眩しい!