旅レポート

泉山磁石場、陶山神社、佐賀県立九州陶磁文化館、有田ポーセリンパーク、有田町歴史民俗資料館東館・有田焼参考館

佐賀県有田町にある佐賀県立九州陶磁文化館
蒲原コレクション

道の駅 山内の朝です。

雨あがりで、どんよりした天気です。

今日は、まず有田町にある泉山磁石場を観に行きました。公衆トイレのある無料駐車場があります。このような道を歩いて行きます。

白く見えるつぶつぶは、有田焼の破片が埋まっています。きれいに見えますが雨上がりのため、ツルツルしていて滑りそうです。

陶工之碑がありました。

建碑由来として、「肥前磁器の興隆と発展のため心を砕いた先人陶工の足跡を偲び有田焼創業三百五十年を卜して ここ泉山の地に この碑を建立する 昭和56年11月」と書いてありました。「卜して」(ぼくして)とは、亀の甲や獣骨を焼いて生じるひび割れの形によって、将来の吉凶を判断することとあります。ここに至るまでの道にあった有田焼の破片は、その時に割って将来を占った破片なのかもしれないなと思いました。

泉山磁石場(いずみやまじせきば)です。この泉山に磁器の原料となる陶石が発見されたのは17世紀の初めでした。陶石とは石英粗面岩の一種で、石英やセリサイト(絹雲母)を主成分とし、鉄分の少ない所は白い色をしています。この陶石の発見によって、有田で日本初の磁器が焼かれました。約400年の間に山を一つ削り取ってしまい、更に掘り下げた結果、まだ埋蔵量はあるといわれながらも、廃水の不備や熊本県の天草陶石の使用が多くなり、今日ではほとんど採掘されなくなりました。

有田町にある陶山神社(すえやまじんじゃ、または、とうざんじんじゃ)に行きました。神社の境内に駐車場があります。線路の下をくぐり細い道を登っていかなければいけないと思って行ったのですが、その前に陶山神社観光駐車場がありました。この写真の右側がその駐車場で、左側が神社の境内に向かう石段です。

その石段を登ると鳥居がありました。

両側にある狛犬が陶磁器で出来た狛犬でした。

メカゴジラか鉄人28号みたいな狛犬様です。珍しいです。

鳥居の先にさらに石段があります。左に少し見えるのが先ほど言った境内の駐車場です。

ここを登ります。

有田焼の町ですね。灯籠が磁器です。

登りきったところにある鳥居も磁器でした。

有田焼の壺が奉納してありました。

すごいです。

陶山神社は、万治元年(1658年)8月、現在の伊万里市二里町大里の神原八幡宮から主祭神・応神天皇の霊が移され、「有田皿山宗廟八幡宮」として開かれました。その「八幡さん」が陶山神社と呼ばれるようになったのは明治以後で、藩祖鍋島直茂公と陶祖李参平公をあわせて祀るようになりました。

本殿です。

隣に八天社という神社がありました。

焼き物の街らしく、火の神・火防の神が奉られている神社です。

有田町にある佐賀県立九州陶磁文化館(無料)です。

駐車場の横に大きな陶器の皿がありました。「絵唐津稲穂文大皿」です。口径220cmあります。「大皿に夢をのせて翔こう会」が平成9年(1997年)に作った大皿です。

県立だけあって立派なロビーでした。これで無料とは素晴らしいです。

昨日に続き、有田焼を初め陶磁器について、いろいろと勉強になる施設でした。

有田焼の壺1個、蓋付鉢2個、カップアンドソーサー16個をオルモル(金メッキした青銅)で組み合わせた豪華なシャンデリアです。

蒲原権(かんばらはかる)氏(1896~1987)の個人コレクションである蒲原コレクションです。

これらのコレクションは、蒲原氏がヨーロッパで購入したもので、17〜18世紀に有田で製作されたヨーロッパ市場向けの磁器が多数を占めます。

江戸時代の後半から幕末には一般的な暮らしの中にも「磁器」が浸透していきました。日用品として漆器や陶器などとともに磁器が日々の生活の様々な場面で登場するようになります。

続いて、柴田夫妻コレクションです。江戸時代の有田焼を中心とする10,311点のコレクションで、平成2年(1990年)より14年間にわたって、柴田明彦(平成16年(2004年)没)・祐子御夫妻からここに寄贈されたものです。

いったいいくらかかったのだろうとため息しか出ないものばかりでした。いったい何をされていたご夫妻なのだろうと調べてみると、ご主人が食品会社を経営し、ご婦人が貿易会社を経営されていました。それにしても、すごいご夫婦がいらっしゃったものだと思います。

自分の興味のある昔の地図が書かれたお皿がありました。染付 日本地図文 角大皿です。天保元年(1830年)~天保11年(1840年)頃の有田焼でした。東京が「武昌城」となっています。なぜでしょう?

九州の古陶磁と題して、九州各地の古陶磁が展示されていました。

有田焼を多用した多目的トイレがありました。

有田町にある有田ポーセリンパーク(無料)に行きました。

ドイツのドレスデン市にある有名な宮殿「ツヴィンガー」の複製の中が観たかったのですが、コロナのため休館中のままでした。

もったいないですね。

今日のお昼は、有田町にある上海飯店に行きました。人でいっぱいでした。

ちゃんぽん850円です。

これを味見したご満悦おばさん「ん、これは・・・」(考え込む)
自分も食べてみる。「おっ、俺が作るチャンポンに似てる」
ご満悦おばさん「そーだ。は、は、は。どこかで食べた味だって思った」

そうなのです。僕が作るのが少し美味しい(自分好み)のですが似てました。

ご満悦おばさんは、皿うどん(ちゃんぽん麺)850円です。

野菜炒めに麺を入れて食べてる感じだそうです。量が多くて苦戦していましたが、美味しかったようです。

有田町にある有田町歴史民俗資料館東館・有田焼参考館120円です。

この断面は、発掘調査の際に掘削した穴の壁面の土層を樹脂で固めて剥ぎ取ったものです。約10数年間に堆積したものですが、広瀬向窯跡は庶民向けに磁器を少品種・多量生産した窯場であるため、その間の製品にはほとんど変化が見られません。

10分と14分のビデオを見ました。有田焼の工程について知りたかったことがわかりました。

明治時代の登り窯です。

各部屋の間の壁には通気があり、炎や熱が下から上の部屋へ伝わる仕組みになっていました。

有田焼の工程を描いた皿です。先ほど観たビデオは、この絵皿を元に工程を解説していました。

防衛食器です。かん詰の代用品としてつくられたもので、パッキンを挟んで密閉します。実際に使用されていました。蓋に「特許真空容器 フタヲトルニハ釘デクボミニ穴ヲアケ」と書いてあります。

陶製ポストです。中樽にあった佐賀県窯業試験場(現佐賀県窯業技術センター)で、代用品の見本としてつくられたものです。

「金鳥の渦巻き缶」のデザインを、やきもので完全再現したものです。よく出来ています。

懐かしい火鉢です。

磁器製風呂桶です。

有田焼を年代を追って説明したブースもありました。

有田で使われていた陶石の粉砕器の唐臼です。これで石を粉砕していたのですね。

武雄市にあるスマイルで食材を調達した後、昨日泊まった武雄市の道の駅 山内に戻ってきました。裏側にも駐車場があることに今朝気づいたので、そちらに駐めました。こちらは地面が水平で道路からも離れているので快適だと思います。今日も、ここに泊まります。

では、また明日です。

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