コグニティブ・フォートトークの
ビジョンクリエーターで生成
誰にでもできることを、そう簡単にできないレベルまでやってみたら、今まで気づいていなかった何かが見えてくるに違いない。
そう思いながら旅を続けてきました。
車中泊の旅も800泊を越えて、それが見えてきても良いと思うものの、鈍感なのか、そもそもそんなものは存在しないのか、何も見える気配がありません。ただ、自分がやろうとしていることと、やっていることとでは、何かが違う(というかできていない)という感覚がずっとありました。
じっくり観よう。しっかり観よう。いつも、そう思って旅を始めるのですが、これまでできていませんでした。
いろいろなところに行き、ほぼすべての景色が記憶には残っているのですが、それがどこの何というところだったのかまではわからないところが多いです。そもそも観た時点で、それを気に留めていたのだろうかとさえ思っています。
旅の合間の家にいる時に、そんなことを考えながら、いろんな本を読んでいました。
脳は知っていることは覚えようとはしない
脳は通常、曖昧な認識をする脳を鍛える「超」記憶法 苫米地英人
子どもの頃には乾いた土に水が染み込むように、いろんなことを覚えていたのに、歳を取るにしたがって、記憶力が落ちていくと感じるのは、このためかもしれないと思える示唆でした。
特に、この示唆が欲しくて選んだ本ではないのですが、答えなのではないかと思いました。
確かに、本当は知りもしないのに、あたかも知っているかのような感じで観ているような気がします。どうすれば、いいのだろうと思っていると
これまた、たまたま読んでいる本にその答えに近いことが書いてありました。
(話は逸れますが、最近自分が求めている答えが向こうからやってくる事が多い気がします)
今の自分の周りで起きていることを、いや自分の周りのすべての景色と言ったほうがいいかもしれません。その景色をすべて舐め尽くすように味わう方法について書いてある本でした。
まさしく、いま自分が読むべき本だと思いました。
その双雲流「丁寧道」のやり方について一部引用させていただくと、
いま、あなたはお風呂場の中にいる、と想像してみてください。これから髪を洗おうと思っています。当然、シャンプー容器のポンプを押しますよね?
そのとき、シャンプーの容器をできるだけ丁寧に、楽しそうに全神経を駆使して味わってみてください。たとえば、ポンプをいつもよりじっくり押して、そのときの「しゅこ~、しゅこ~」という音に耳を澄ましてみる。「意識して聞いたことなかったけど、いい音だなぁ~」「やさしい音だなぁ~」なんて感じてみるのもありです。
また、シャンプーの容器を楽しそうに眺めてみてください。ちょっと見てみると、容れ物・ポンプ・ポンプの中の部品等々、いろいろなものを組み合わせてくれているおかげで、スムーズにシャンプーが出てくることがわかります。
それに、想像をめくらしてみると、温もりのあるピンクの容器も、涼しげなブルーの容器もメーカーやデザイナーさんがさまざまな工夫を凝らしてくれて、ああでもないこうでもないと改良しながら使いやすいものにしてくれているんだなぁ~なんていうイメージも湧いてきます。
今、自分に必要なのは、この感覚なのではないかと思いました。
でも、そもそもどうして雑に(自分はそう思っていないつもりだったのだけれど結果として、そうなっている)観てしまうのだろうか。
この本に、その原因と思われることが書いてありました。
少し話が逸れますが、以前ひすいこたろうさんの記事を見つけて面白いとカミさんと話をしたことがありました。その後、自分はネットで写真左の本を買って少しずつ読んでました。
しばらくして、カミさんがブックオフから帰ってくるなり、いい本を見つけたと言ってました。手には写真右の本が握られていました。2つは同じ本です(笑)
今日がお別れだと思ったら、いやな人だって少しは許せるよね?
今日が最後の仕事だと思ったら、手は抜かないよね?
今日が最後だと思ったら、子どもを感情のままには叱らないよね?そんなふうに「これが最後」と思い、いつも「今」に「心」をこめて生きることを「念」を込めて生きるといいます。
あした死ぬかもよ? ひすいこたろう
今、日本中を観て回っているのは下見で、いずれ本番をやろうと思っている、その気持ちが、また観ることができるという甘えになり、真剣に(念を込めて)観ていなかったのだと気づきました。
また、眼の前にあるものを、ありのまま受け取って、それをじっくり観るのも大事だけれど、それだけでは、まだ十分じゃない気がしていました。
たとえば、岩壁に大きな穴の開いている景色を観たり、山の中にひっそりとある石垣を観たり、それはそれで、じっくり観るのだけれど、その景色の持っている時の流れのようなものを感じ取りたいと思うのです。
当たり前に思うものには、一度「なんで?」って思わなきゃいけません。
「なんで?」を入れることで、初めて現実が自分でコントロールできるようになるからです。脳と心の洗い方 苫米地英人
「なんで?こんなところに穴が開いているのだろう」
「なんで?こんなところに石垣を築いたのだろう」
この感覚を持って、次の旅を味わいたいと思っています。
- 自分の五感を最大限に使って、じっくりと丁寧に観る
- これを観るのは、今回が最後かもしれないという気持ちで観る
- 「なんで?」という疑問を持って、その奥に潜む事象にまで思いを巡らす
これらが義務感にならないように心に留めて、自分の「旅道」を極めていきたいと思いました。
と、ここで今回の投稿を終わりにして、旅に持っていこうと思っている「耆に学ぶ」という本を、ちょっと読み始めたところ
茶道、華道、書道、柔道……。「道」と付くものには終わりがありません。
清水克衛(かつよし)
と書いてありました。
「旅道」を極めようと思ったけれど、どうやら終わりがないもののようです。
明日から、また旅に出ます。