大阪府和泉市にある大阪府立弥生文化博物館
卑弥呼の館のジオラマより
34日目:大阪府岸和田市
走行距離 36.7Km
今日は古代のロマンにどっぷりと浸かった1日でした。

道の駅 愛彩ランドの夜中です。目を覚ますとトラックのエンジンの音がしました。ここはトラックのエリアと乗用車のエリアが別れているので、そんなはずはないと思いました。
トイレに行くために外に出ると、すぐ近くにトラックがいるではありませんか。ここのトラックのエリアが一杯でこちらに来たのだと思います。お疲れ様です。もう少し離れてくれると良かったなぁとは思っております。

ここの道の駅は、トイレが良ければ文句なしの道の駅です。男子トイレは小2、大が和1です。女子トイレは、和1洋1です。なぜ知っているかと言いますと外から女子トイレの便器が見えるからです。あと多目的トイレがあります。朝は混みます。いい道の駅なのですがそれだけに残念です。

今日の天気は曇っていたのですが北から徐々に晴れてきました。

和泉市にある大阪府立弥生文化博物館の駐車場に着いた時には、晴れていました。

エントランスホール中央には国内最大の銅鐸(高さ135cm、滋賀県小篠原遺跡出土) を現代技法で復元したものが置いてありました。原料は銅87%、錫8%。 鉛3%、亜鉛2%の合金だそうです。

最初に、エントランスホール横にある卑弥呼の絵を観に行きました。小灘一紀さんが描かれたものです。

この小灘一紀さんは、令和5年(2023年)に「伊邪那岐命の悲しみ」で日本芸術院賞を受賞されました。この博物館で実施されている絵画コンテストの審査員を引き受けている関係で、20年ぶりとなる小灘一輝 絵画展が開催されていました。

古事記に登場する人物をテーマにした絵画展は面白いと思いました。

もちろん、創造された絵画なのですが、よく知っている神様も多数いらっしゃって興味を持ってみることが出来ました。
自分の記録を兼ねてギャラリー形式で残しておきたいと思います。
- 倭健命(やまとたけるのみこと)
- 弟橘比賣命(おとたちばなひめのみこと)
- 倭比売命(やまとひめのみこと)
- 三輪山の大物主大神(おおものぬしのおおかみ)
- 悲しみの下照比売命(したてるひめ)
- 海幸彦と山幸彦
- 沼河比売命(ぬなかわひめ)
- 須佐之男命の足跡
- 大国主命と少名毘古那神(すくなびこなのかみ)の別れ
- 八上比賣命(やかみひめ)と稲羽の素兎
- 豊玉毘賣命(とよたまひめ)
- 草薙剣を授かる須佐之男命
- 大気津比賣神(おおげつひめのかみ)と五穀の起源
- 伊邪那岐命の悲しみ(日本芸術院賞受賞作品)
- 伊邪那岐命と伊邪那美命の神生み
- 五柱の別天つ神

全国弥生遺跡マップがありました。(クリックで大きく出来ます)

レプリカではありますが、弥生土器第1号がありました。明治17年(1884年)、現在の東京大学に近い「向ヶ丘弥生町」で見つかった壷です。「貝塚土器」(=縄文土器)と異なる文化のものと考えられ、地名をとって「弥生土器」と命名されました。

弥生時代のジオラマです。

よく出来ています。

銅鐸を作るための型(レプリカ)です。

銅剣を作るための型(レプリカ)です。

この青銅の矢じりは、まったく腐食していません。(レプリカ)

卑弥呼の館のジオラマがありました。

1/50の縮尺です。

魏志倭人伝の記述をもとに卑弥呼についての展示をやっていました。自分は卑弥呼は、いなかったのではないかと思っているのですが、いろいろと参考になりました。

卑弥呼の時代前後に中国でつくられた鏡を中心に展示していました。

この画文帯環状乳神獸鏡が非常に精緻に出来ていました。

拡大をすると、こんな細かなところにも何か書いてありました。
鏡マニアとしては、ここにあった鏡の写真を撮ってきましたので、これも記録のためにギャラリー形式で載せておきます。

このあと行く予定の池上曽根遺跡の出土品を展示した部屋です。


ここの博物館は、池上曽根遺跡だけでなく、いろいろなところの出土品を展示していてすごいと思っていたのですが、ほとんどがレプリカであったことが最後にわかり、ちょっと拍子抜けしました。ラベルの横に*印がつけてあり、もしかしてレプリカのマークではと思って出る時に尋ねるとそのとおりでした。

今日のお昼は、泉大津市にあるにぎり長次郎 泉大津店でいただきました。これまでも、他のところで利用したことがあるお店です。

少し高めのお店の中でも、高めになるお店だと思っています。鯛やハマチは、お値段相当で美味しいと思いました。

きっとマグロも美味しいに違いないと思って注文したものの、これは期待外れでした。ものによると思います。

和泉市にある池上曽根史跡公園駐車場に車を駐めました。

池上曽根弥生学習館に行きました。

この掘立柱は紀元前52年に切り倒されたことが年輪年代測定法でわかったそうです。どうして年輪を見て、そのような昔のことがわかるのか疑問だったので教えてもらいました。
年輪は、その年代の気象条件などでムラができます。すでに、年代がわかっている木の年輪のムラをどんどん遡って照合していくことによって古代における年輪のムラのデータベースのようなものが出来ていて、それと照合することによって年代がわかるようになっているのだそうです。

これは、池上曽根遺跡の大型建物の外見を推測するためのもとになった建物の絵がかかれた破片です。

年輪年代測定法に使った木かと思ったのですが、そうではないようです。

出土した状態を保存した建物です。実際には、ここから300mほど離れたところで出土したものを状態を保ったまま、ここで展示しているのだそうです。

内部です。下がガラスになっていて発掘された時の様子を観ることが出来ます。

直径2.3mのクスノキをくりぬいてつくられた井戸がありました。

掘立柱です。

池上曽根遺跡を観に行きました。大型建物です。


先ほどの井戸のレプリカです。

池上曽根弥生情報館にも立ち寄りました。

年輪がきちんと分かる柱が出土したようです。

新選組の赤穂浪士討ち入りの写真です。
冗談です。
堺市にあるバロー 堺豊田店で食材を調達したあと、堺市にある櫻井神社の境内に車を駐めました。この写真のように雪が降って、なかなか渋い雰囲気になってきました。

櫻井神社です。

国宝の拝殿です。じっくり観たかったのですが、雪が降っていたので慌てて観てしまいました。


最初は、こちらが拝殿だと思ったのですが、先ほどの建物が国宝の拝殿であることが途中でわかりました。

本殿です。晴れている時にまたじっくり参拝したいと思います。

河内長野市にある道の駅 奥河内くろまろの郷に着きました

きれいな道の駅です。

ブログを書いていると、雪が激しくなってきました。

あと1,2時間で止むと思っておりますが、明日はどうなることやら。
今日は、ここに泊まります。
では、また明日。