旅レポート

高麗神社、武蔵一宮 氷川神社

埼玉県日高市にある高麗神社の将軍標(チャンスン)

道の駅 いちごの里・よしみの朝です。今日も快晴です。この駐車場の奥、道路の向こう側に道の駅の売り場があります。

隣には公園もあります。左側はトイレで中央がパン屋さんです。昨日、自分たちが着いたときには終わっていました。

ここの道の駅は、駐車場エリアがいくつかあって、大型トラックとは別の位置に駐めることが出来ました。左にある建物がトイレです。

今日の最初の訪問先は日高市にある高麗神社(こまじんじゃ)です。

参道横にある将軍標(チャンスン)です。神社にこのような物があるのは変わっていると思っていました。

境内です。

境内を案内する看板がありました。日本語がありません。普通の神社ではないような気がしてきました。手水舎の隣にある由緒書きによると、高麗神社は、高句麗国の王族高麗王若光(こまこきしじゃっこう)を祀る社でした。668年に唐と新羅の連合軍の攻撃にあい滅亡した高句麗から日本に移り住んだ貴族や僧侶のうち1,799人がこの地に移され、新しく高麗郡が設置されました。のちに高麗郡の郡司に任命され武蔵野の開発に尽くしたものの、ふたたび故国の土を踏むこと無くこの地で没した高麗王若光をここに祀り、その子孫によって護られて来ました。

そう言われてみれば拝殿も少し特徴の有る形をしているように思います。

次に、さいたま市にある武蔵一宮 氷川神社に行きました。自分は約40年ほど前、2年間ほどこの神社の近くに住んでいました。当時は神社には全く興味がなかったので氷川神社が近くにあることは何となく知っていましたが、訪れたことはありませんでした。大きくて立派な神社であることが今回の訪問でわかりました。

ここには戦艦武蔵の碑がありました。広島県呉で行われた戦艦武蔵の竣工式には氷川神社から6名の神職が出向し式が執り行われました。船内神社には、氷川神社が分祀され武蔵神社と命名されたという歴史があります。

立派な楼門がありました。

舞殿です。

拝殿側から見た舞殿です。

そして拝殿。

少ししか見えませんが本殿です。

この氷川神社は、歴史のある神社で第五代孝昭天皇の時に創建されました。その後、景行天皇の御代大和武尊が東夷鎮定の祈願をされたなど数々の言い伝えが残っています。

兎年ですね。

この神社の脇には大宮公園の池があります。自分はこの池が膝までの深さしか無いことを知っています。なぜなら40年前に飛び込んだことがあるからです。若気の至りということで許してください。

ここの神社に参拝するに当たり、参拝者用駐車場(無料)に車を駐めたのですが、車を降りて離れると係員の人が自分の車のところにわざわざ行ってナンバーを控えているのを目撃してしまいました。ここに長時間駐めそうに観られたのでしょうか。参拝を済ませるとすぐに立ち去りました。

その後、お昼を、さいたま市のくら寿司 東大宮店でいただき、ベルクス東大宮店で食材を調達した後に

春日部市にある道の駅 庄和に来ました。拡張されてきれいになっているはずだと思っていましたが以前泊まった近くの道の駅 しょうなんと勘違いしていました。

しかし、広い道の駅で良かったです。

それでは、今日は、この辺で。

COMMENT

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です