旅レポート

安土城郭資料館、安土城天主 信長の館、鏡神社

滋賀県近江八幡市にある安土城郭資料館
安土城陶板壁画

本日のサマリー

49日目:滋賀県竜王町〜近江八幡市〜竜王町

走行距離 27.9Km

今日は資料館で安土城について学びました。

道の駅 竜王かがみの里の朝は雨でした。雨の日は道の駅の写真を撮り忘れる傾向があるようです。

ところで、昨晩 京姫酒造の匠の大吟醸と純米大吟醸の飲み比べをやりました。どちらも美味しいのですが、大吟醸の方がまろやかで香りが豊かでした。純米大吟醸は味が尖っている(辛口よりの)感じがしました。味音痴の自分たちは大吟醸の方が好きという予想外の結果となりました。ただし、どちらも美味しいのでハイレベルでの話になります。これからは、安い大吟醸を買おうと思います(笑)

近江八幡市にある安土城郭資料館駐車場に車を駐めました。

元亀元年(1570年)織田信長は近江国中から相撲取りを集め、常楽寺で相撲を取らせました。安土城築城後は毎年のように安土山で相撲を取らせ大勢の家臣たちに見物させました。相撲は元来神事で、奈良時代以降「相撲節会」(すまいのせちえ)として宮中の行事となり、鎌倉時代以降は武芸の鍛錬として武士の間にも広く定着していきました。そうした相撲のあり方を相撲興行のような形に変えたのが織田信長なのだそうです。常楽寺での相撲が大相撲のルーツと言われています。

安土城郭資料館200円です。

ここには安土城を1/20で再現した模型があります。内部まで細かく再現されています。地下一階から三階までが吹き抜けになっており中央に宝塔が建てられています。

五階部分には信長と思われる人物が外を見ていました。

反対側です。安土城は、仏教、儒教、道教などいろいろな宗教を取り入れて作られていました。世界を視野に入れた信長の天下統一を意味するものと言われているようです。

信長が狩野永徳に安土城を描かせた金箔の屏風を1582年(天正10年)に天正遣欧少年使節団がローマ法王に献上すべくヨーロッパに持参しています。その屏風は教皇庁に保管されているとされているものの、未だに発見されていません。その時の様子が陶板壁画として6枚に描かれていました。この写真は、その最初の1枚で安土城部分です。6枚目にはリスボンの様子が描かれていました。

「蛇石」という巨石を安土山頂に引き上げる様子を再現したジオラマです。この「蛇石」は引き上げる際に綱が切れて150人が轢き潰されたと言われています。ちなみに、この「蛇石」は、これまでの発掘調査でも見つかっていません。

よく出来ていました。

信長の掲げた方針や旗印に、「天下布武」があります。一般的には武力によって天下を統一するという意味とされていますけれど、それは違うと書いてありました。

「武」とは、本来「戦いを止める」という意味を持つのだそうです。武という漢字を分解してみると、「戈(ほこ)」と「止」から出来ており、戈は戦で使われる武器であり、戦いを表し、それを止めるのが、「武」になります。これに古代中国の古典「春秋左氏伝」の考えを合わせて、「天下に七徳の武を布く」という天下泰平の世を創るという決意表明になるのだそうです。

近江八幡市にあるフレンドマート 安土店で食材を調達したあと、近江八幡市にある安土城天主 信長の館610円に行きました。

安土城の5階部分を模した八角形の建物でした。ここの内部には、安土城の5、6階部分を実物大で復元したものが収められていました。ただし、著作権があり、写真撮影は可でもSNSなどへの投稿は禁じられていました。とてもきれいで一見の価値があると思います。

ここにも「蛇石」のジオラマがありました。

ここでは、15分のVR映像を拝見することが出来ました。実際に安土城天主を見て、内部に入り、6階から周りを見渡した気分になれました。

発掘された瓦の一部が展示されていました。

この肖像画は、当時の宣教師が描いたもので信長に最も似ていると天童織田家に伝えられてきたものです。

いろいろと勉強になりました。安土城は軍事目的の機能がなく、政治目的を優先して作られたものと考えられているようです。

今日のお昼は、近江八幡市にあるちゃんぽん亭 近江八幡2号店でいただきました。

近江ちゃんぽん 野菜大盛990円です。豚骨スープではなく、醤油ベースで甘い味付けになっています。健康のため野菜大盛りにしました。

近江ちゃんぽん 野菜中盛890円です。一瞬、自分の野菜大盛りと間違ったのではないかと思うくらい、こちらの方が野菜が多いように見えます。よくよく見てみたところ、器の大きさが自分の方が15mmくらい大きかったです。

ご満悦おばさんは、前回食べた時に、「おいしいけどご満悦までではない」と言っていましたが、今回は「ご満悦にしといていいよ」と隊長である私に命令するのでありました。

竜王町にある道の駅 竜王かがみの里に戻ってきました。

道の駅から歩いていけるところにある鏡神社を参拝しました。ここは義経が元服のおりに参拝した神社と言われています。

その参拝の際に、烏帽子を掛けた松です。残念ながら明治6年(1873年)台風により折損したため幹の部分のみを残して保存されていました。

舞殿ですね。

本殿です。杮葺き三間社流造ですね。

前室があることと、階段が横に広いことなどが特徴だと思います。御祭神は、天日槍尊(あめのひぼこのみこと)、天津彦根命(あまつひこねのみこと)、天目一箇神(あめのまひとつのかみ)です。

道の駅 竜王かがみの里に戻ってきました。いろいろと資料も買ったり、もらったりしてきましたので、これから目を通したいと思います。

では、また明日。

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