旅レポート

江田神社、みそぎ御殿、みそぎ池、巨田神社、都於郡城跡、都萬神社、南方神社、無戸室、児湯の池、石貫神社

宮崎県宮崎市にあるみそぎ池

市民の森 駐車場の朝です。車はほぼいなかったのですが、斜め前にエンジンをかけっぱなしのトラックが泊まっていました。普通車用駐車場なのでトラックはいないと安心していたのですが、そう甘くはありませんでした。

今日は、まず、ここの市民の森とその隣りにある神社を参拝します。このみそぎの碑は、後ろにいらっしゃるのが伊邪那岐尊です。手前の三貴子は、中央が天照大御神、左が素戔嗚命、右が月読尊です。伊邪那岐尊が黄泉の国の穢を落とすためにこの地で禊を行う際に、左の目を洗うと天照大御神。右の目を洗うと月読尊。そして鼻を洗うと素戔嗚命の三貴子が生まれたことを示しています。

江田神社です。

拝殿です。

本殿です。御祭神は、伊邪那岐命、伊邪那美命です。

その次に、みぞぎ御殿を参拝しました。写真撮影は禁止でした。御祭神は、天照皇大御神(あまてらすすめおほみかみ)、月讀尊(つくよみのみこと)、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)、級長津彦命(しなつひこのみこと)、級長戸辺命(しなとべのみこと)、豊受大御神(とようけおほみかみ)、倭姫命(やまとひめのみこと)、瀬織津姫命(せおりつひめのみこと)でした。参拝方法は、二礼 四拍手 四拍手 一礼でした。ここは、とても厳かな感じのする神社でまた参拝しに来たいと思いました。

みそぎ池です。伊邪那岐尊が禊を行われた池です。御池(みいけ)とも呼ばれています。

宮崎市にある巨田神社(こたじんじゃ)です。

拝殿です。

国の重要文化財(建造物)に指定されている三間社流造の本殿です。

御祭神は、誉田別命(応神天皇)、大帯姫命(神功皇后)と、上筒男神、中筒男神、底筒男神の住吉三神の五柱です。

西都市にある都於郡城跡(とのこおりじょうあと)を観に行きました。車は都於郡城跡駐車場に駐めました。

駐車場から5分ほど歩くと石段があり、ここを登ると本丸跡に出ます。

天正遣欧少年使節の正使だった伊東満所(マンショ)像がありました。

ここが伊東満所生誕の地なのですね。

本丸があったと思われる場所です。

本丸跡にあった石群ですが、何かはわかりませんでした。

向こうに見えるのは奥ノ城跡です。こちらの本丸跡との間には空堀(谷)があり直接いけません。それぞれの高台を曲輪(くるわ)といい城の一つひとつの区画になっています。

右が本丸跡、左が二ノ丸、中央がその間にある空堀です。

二ノ丸跡です。

二ノ丸跡の端には、3mほどの高さの土塁が築いてありました。当時は二ノ丸全体を取り囲んでいたらしいです。

二ノ丸跡から三ノ丸跡を見たところです。

そのそれぞれの曲輪の間には空堀があります。

空堀を歩いて三ノ丸跡に向かいます。

三ノ丸跡からの景色です。昔は麓の町を見下ろせたのでしょうけれども、今は杉の木や竹があって見えません。

三ノ丸跡からニノ丸跡を見たところです。空堀の壁が非常に急であることがわかると思います。

三ノ丸跡からニノ丸跡を見みたところです。

三ノ丸跡から西ノ城跡を見たところです。

西ノ城跡です。

西ノ城跡からの景色です。

これまで多くの城跡を観てきましたが、はじめて当時の姿を観てみたいと思いました。5つの曲輪が空堀によって区画され、その急な斜面は難攻不落の城を思わせる、そんな景色が広がっていたに違いありません。全盛期には日向国の48城を支配していた伊東氏の本城にふさわしい城(跡)でした。

その後、西都市にあるスーパーセンタートライアル西都店で食材を調達しました。日本中にあるスーパーセンタートライアルを、これまで何度も利用してきました。今日、初めてポイントカードを作りました。もっと早く作っておけばよかったと思いました。

西都市にある都萬神社(つまじんじゃ)を参拝しました。駐車場への入口がわからず、ぐるぐる回ってしまいました。この写真の中央部に右に入っていく道があり、ここが入口でした。

その道を進んでいくと、この参拝者駐車場があります。

都萬神社を参拝する前に、祇園神社があり、参拝しました。

御祭神は、素戔嗚命です。

都萬神社の境内に千年楠の洞洞木とがありました。

願い事を心の中で唱えながら潜ると願い事が叶うそうです。

ここは、日本酒発祥の地でもあります。日本書紀に、その根拠となる記述が出てくるという主旨の事が書いてありました。

都萬神社拝殿です。

拝殿の壁に日本一の大太刀が掛けてありました。刃渡2.4m、長さ3.54m、重さ約63.75kg、年代 報徳2年(1450年)です。

本殿です。御祭神は、木花咲耶姫です。

土俵もありました。

神社から歩いて御舟塚(みふねづか)まで行きました。高天原(天上世界)から日向の高千穂(地上世界)に降臨された瓊々杵命ご一行は、稲作に適したよい土地を求めて旅を続けるうちに、当時は奥深い入江であったと伝えられるこの地、笠狹の御宿(かささのみさき)に到着しました。ここは瓊々杵命ご一行が舟で上陸し、その舟がそのまま鎮まった所と言われています。

今日のお昼は、西都市にあるうなぎの入船でいただきました。宮崎県で有名な鰻屋さんを挙げるとすると、おそらくここが1番に挙がるのではないでしょうか。ここには、100台以上が駐められる規模の駐車場がありますが、平日にも関わらず、かなり埋まっていました。

受付をすると79番目でした。1時間以上待つことになると言われました。隣に待合室があります。

正面に南方神社(みなみかたじんじゃ)がありましたので、待っている間に参拝することにしました。

拝殿です。

入母屋造に千鳥破風、唐破風向拝が付いた自分の好きな拝殿の造りです。

本殿です。御祭神は、素戔嗚命命(すさのおのみこと)、手名槌命(てなづちのみこと)、足名槌命(あしなづちのみこと)、奇稲田姫命(くしいなだひめのみこと)、大己貴命(おおなむちのみこと)、大山祇命(おおやまつみのみこと)、豊玉姫命(とよためひめのみこと)です。

ここの境内には推定寿命1,000年、目通し幹周りが11.5mのクスノキがあります。このクスノキを観ている時に入船から次の人を呼ぶアナウンスが聞こえてきました。34番でした。

その後、車の中でブログを書き、待合室に移動して、注文した品が来るまで1時間半でした。うなぎ定食3,770円です。ここまで待って食べたうなぎは美味しかったです。ただし、日南市にある鰻屋さんのうなぎの方が肉厚で美味しかったというのがご満悦おばさんとの共通意見です。

西都市 無戸室(うつむろ)です。

木花咲耶姫が火を付けた産屋で三皇子をお産みになったところです。木花神社にもありましたね。

児湯の池です。三皇子の産湯にここの水を使ったと言われています。

瓊々杵命と木花咲耶姫が結ばれる前のお話です。ある日、木花咲耶姫を嫁にと請う鬼が現れました。これを断るため、父神の大山津見神は一夜で石造りの窟を建てるよう求めました。鬼は夜を徹して朝日の出る前にこれを完成させました。しかし翌朝、父神と鬼が確認すると石室の石が一つ抜けており、未完成を理由に結婚は叶いませんでした。

実は父神が、鬼の寝てる間に石を抜き取り、東方の谷間に投げ飛ばしたのでした。それがこの石貫神社の石です。石貫の地名の由来になっています。

拝殿です。

本殿です。御祭神は大山津見神です。

西都市にある西都原 第一古墳群 駐車場です。

24時間使用可能なトイレ(多目的あり)があります。今日は、ここに泊まります。

だんだん投稿が長くなってきました。書く方も大変なら読む方も大変ですよね。

ちょっと考えます。では、また明日。

COMMENT

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です