写真は京都市にある三千院のおさな六地蔵
自分らしさとは、何だろうか?
そもそも「自分」というものをよくわかっていないのに…
自分らしさとは、何だろうか?
会社に勤めている時に、髪を短くしたかった。そう、限りなく丸坊主にしたかった。
しかし、できなかった。
いや、しなかったと言った方が正しいかも知れない。
ある人の言葉が、短くしたいという自分の思いにストップをかけていた。
それは、
うっちゃん、それ以上髪を短うしたら、あきまへんで。
部長は部長らしくせな、あきまへんのや
という言葉だった。
それは、取引先の営業部門の偉い人の言葉だった。
上に立つ人は、組織を統括する上でそれに相応しい格好をしなければいけないものだと教わった。そして、組織のためにも、部下のためにも、そうなのだと信じてその助言にしたがってきた。
決して間違いではないし、むしろ正しいのだと今でも思う。
課長、部長、所長、そのそれぞれに「らしさ」があるのだと思う。
自分は人と同じことをするのが嫌いな性格だ。むしろ変わったことをしたがる性格だ。
世の中にない新しいものを創造する部門の長が他の人と同じ考えで良いわけがないと思っていた。
あらゆるところで、今までの人とは違うことをしてきたつもりだ。
このような性格の持ち主にとって髪を坊主にすることは、人と違うことをすることだったのかも知れない。
そしてそれを我慢した。
時は流れ、組織とのしがらみが無くなった。助言してくださった偉い人も他界されてもういない。
そして、今、自分の頭は坊主になっている。
まるで、それまでの我慢に終止符を打つかのように頭にあった髪の毛は切り落とされて無くなった。
無くなった髪の毛と一緒に、いろいろなしがらみも無くなって、自分の思いを自由に表現できるようになった。
自分らしさとは、何だろうか。
主観的に捉えた自分の長所
自分らしさとは、主観的に捉えた自分の長所のことかも知れない。
坊主頭にすることが自分の長所だと言いたいわけではない。人と違うことをしたいと考える、その欲求を持っている自分を自分は長所と見ているのだろう。それが自分らしい生き方だと思っているのだろうと思う。
自分らしさとは、何だろうか?
みんな自分に問うてみるといいと思う。
これも絶対解ではなく納得解を有する問題だなぁ。