昨日カミさんと話をしていて面白いことに気づきました。英語の ” I ” に相当する日本語が感覚的に抱いていた以上に、ものすごくたくさんあると言うことです。
私、俺、僕、わし、吾輩、我、わて、ワイ、あたい… 。もっともっとあります。
この自分という意味の言葉だけでなく、あらゆる事を伝える言葉や言い方が多数あります。物凄く複雑な言葉を使いこなしている民族なのだと改めて思います。
このような複雑な言葉を何も考えず普通に使って会話をしていますけれども、もしかしたら非常に高い通話手段を持っている民族なのではないだろうかと思います。通話手段が非常に高度に発達しているという事は、おそらくそれに付随していろいろなものが発達したのだろうと思います。
思考するための脳であったり、文化などさまざまなものが高いレベルで存在しているのではないかと思います。わび、さびなどと言った日本独特の美意識も、今のような背景から自然に出来上がったのかもしれません。こう言った能力も以前話をした見えない能力に相当するものではないかと思います。
このような民族なので、言わなくてもわかってもらえるだろうという日本人の悪い(と言われる)習慣があるのだろうと思います。
しかし、日本人同士では、それで良いではないかと思います。それが「思いやり」という優しさを育むのですから。
一方、外交や海外ではそうは行きません。虎視淡々と領土を狙っている国や、何百、何千発ものミサイルを日本に向けている国に対してわかってくれるだろうではいけないと思っています。
日本の素晴らしい景色を求めて旅をしようと思っているものの、景色だけではなく精神的な美しさに関しても探し求めていきたいと思います。
やりたいことがたくさんあって幸せだなぁー
お断り:ここで述べた内容は、日本語以外の言語を使う人たちを卑下しているわけではありません。国ごとにいろいろな良い点や文化があると思っています。