つぶやき

江川邸と韮山反射炉に行ってきた

日本の素晴らしい人たちを調べる旅に出る前に、まずは取材の練習を兼ねて地元で功績のあった方を調べてみようと思い立ち、韮山の江川さんを調べてみることにしました。下調べをするまでは地元のために尽くした人、韮山反射炉を作った人くらいの知識しかありませんでしたけれども、今回の取材も含めて非常に凄い人であることがわかりました。

江川邸へ到着しました。やはり、以前ウォーキングに参加した時に来た所でした。その時は、江川さんにそれほど興味があったわけでもなかったのでサクッと見て終わりました。今日はしっかり取材します。ガイドさんにも付いてもらいました。

これが今回見たかったものの一つ江戸の江川邸から持ってきたと言う表門です。薬医門と言われるタイプの門だそうです。この写真なんとなく構図が不自然だと思われた方、さすがです。門の真正面から写真を撮ると奥の建物が中心より右に写るんです。つまり敵からの矢がまっすぐ飛んできて家の中に入らないように少し右側に作ってあるんです。写真を撮る時に無理やり奥の屋敷を正面に入れたものだから傾いているのわかりますかね。やはり、よくわかりませんね。

江川家では戦国時代から江戸時代にかけてお酒を作っていました。その水を汲んでいたのがこの井戸です。北条早雲が飲んで美味しいということで江川酒という名前をつけたそうです。徳川家康にも献上し、非常に美味しいということで家紋をもらったのだそうです。

これがその家紋です。江戸時代になってこれまでの笹竜胆(ささりんどう)から、この井桁に菊の家紋に変わったわけですね。

これは、パン祖の碑と言ってパン協会が英龍に感謝するために建てたものです。英龍は日本人のために初めてパンを焼いた日本人なのです。毎年4月12日にはパン協会の人がここへきて感謝の式典をやるのだそうです。

この旗は、御用旗と言ってこの旗を建てている荷物は荷物検めをされなかったそうです。下手に触ると腹を切らなければいけない事態になったそうです。これ本当に使われていた旗です。

これは大砲の弾です。当時大砲の弾は標的に当たっても爆発しなかったのだそうです。よく映画とかで爆発するのは演出だそうです。弾をマストに当てて折り(かなり難しいと思うのだが)、舵を壊して、鉤縄で敵船に渡ってチャンチャンバラやるのだそうです。ところが英龍は着発弾といって着弾時に爆発する弾を開発していたそうです。残念ながら完成する前に過労死で無くなってしまったものの、これはその時のものです。

代官所は福利厚生もやっていたため漢方薬も作っていたそうです。江川邸内にはいろいろな漢方薬の樹が植えてありました。

これがお屋敷の裏側です。ここで作業をしても地面からほこりがたたないように土ににがり(塩)を混ぜてありました。少し湿った感じがわかるでしょうか。

室町時代に建てて関ヶ原の合戦の頃にリフォームした建物で、いたるところに補修の跡が見られます。この建物は4本の通し柱で屋根を支えるお寺に用いられている技術と、筋交いを使わないお城に用いられている技術を融合した免震構造になっていました。(この建物は民家として初めて重要文化財に指定されました。他にもたくさんの構造の工夫があります)

英龍が載っていた籠です。和紙を貼って柿渋を塗るのだそうですけれども、和紙の部分に字などが書いてある使い古しの紙を活用していました。本当にお金を使わず、農民たちのために使った人だったそうです。

これは、火伏せの札と言って日蓮が書いたもののコピーです。日蓮上人が幕府に捕まって伊東のまな板岩の上に置き去りにされ殺されかけた時、それを助けたのが土地の漁師で、陰で支えたのが江川さんでした。そのお礼と言ってこのお札を置いていったのだそうです。

原文は天井の真ん中の箱に入れてあります。箱が真ん中にありますよね。それでここは守られていて火災に合わないのだそうです。

沼津の人だったら知っていると思うのですけれど、ロシアのプチャーチンが帆船ディアナ号に載ってやってきて沈みましたよね。その時助けられましたけれどロシアに返すための帆船ヘダ号建造の指揮を取ったのも英龍だったそうです。ちなみに、その時の船大工は航海術も学んでおり横須賀や長崎に行き咸臨丸の航海士などになったのだそうです。余談ですけれど、船の進水式でレールを使って浸水する方式を初めて日本でやったのが戸田号なのだそうです。すごいですよね。

これもすごいですよ。なんと佐久間象山(吉田松陰の先生)が書いた奥儀誓詞(ちゃんと学ぶことを誓いますという誓約書)なんです。英龍って佐久間象山の先生でもあるんですよね。

英龍は、江戸以外にもここ韮山でも韮山塾をやっていました。ここがそうです。とにかくここに書いたのはガイドさんから聞いた話のごく一部で、ぜひみなさん言って話を聞いて欲しいです。


その後、韮山反射炉に行きました。3度目なんですけれど、「あれっ、こんなにちいさかったっけな」と思いました。手前にガイダンスセンターができていて、いろいろ学べます。

連双2基4炉からなる韮山反射炉です。こちらもオススメです。

今回、江川太郎左衛門英龍を調べるために今回江川邸と韮山反射炉を訪れました。誰がいつ何をしたという日本史の教育が大嫌いだったのですけれども、振り返ってみると今回の取材がそんな感じになってしまいました。もう少し英龍の話を聞いて人物像に触れる逸話をまとめられるようになりたいと思います。精進します。

江川太郎左衛門英龍(ひでたつ)概要 江川太郎左衛門英龍(ひでたつ)は平安時代から38代にわたって代官を勤めてきた江川家の36代目当主です。担庵(たんあん、たんなん)...

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