コラム

本当の自分

仕事をしていた時、大勢の人の前で話す機会がしばしばありました。話す内容は、このコラムに書いているような話でした。そのため、聞いている人たちが、どのように受け取ったかを知りたくてアンケート形式で感想を聞くようにしていました。

面白いことに、同じ話を聞いている人であっても、人によって受け取り方がかなり違うことに気づかされました。伝えたかったことを的確に受け取って、むしろ話をした以上に深く考えて理解してくれる人もいれば、自分が意図したこととは真逆に受け取ってネガティブな意見を返してくれる人もいました。批判にこそ耳を傾けたいと思っていましたので、ネガティブな意見はそれはそれで感謝をし参考にさせてもらったのですけれども、どうして、こうなるのだろうと思っていました。

そのようなことを繰り返しているうちに、このような感覚を持つようになりました。

例えば100人に話をした場合、そこには100通りの「自分」が生まれるのではないか

つまり、一人ひとりがその人なりの感覚で受け取った(見た)「自分」がそれぞれの人の意識の中に出来上がると言うことに気づいたのです。つまり100通りの自分(のイメージ)が存在することになるのではないかと思うようになりました。

ところが、実際には本当の自分は1人なのであって100人もいません。そこにいるのは、話を聞いた「他人」と言う鏡に映った自分のイメージ(虚像)であって本当の自分ではないのです。100枚の鏡に映っている自分の姿なのです。

鏡には、平面な鏡、凹面鏡、凸面鏡、歪な形をしたものなど、さまざまでそれこそどの鏡に映った姿が本当の自分の姿なのかわかるはずがありません。むしろ、正しく自分を映している鏡はないと思った方が良いくらいです。

この鏡は、「無意識のうちに気にしてしまう他人の目」と同じであって、他人がどう思うかで自分を(無意識のうちに)評価すると言うパターンに陥ってしまっていました。アドラーやニーチェが言っているやってはいけないことをやっている自分がそこにいたのです。

組織を統括する立場上、どうしても部下や関係者がどう考えているかを数十年気にし続けてきましたけれども、組織から解放された今、これまで以上に本当の自分を素直に見つめて生きていきたいと改めて思いました。

他人がどう考えているかよりも、本当の自分を知ることに時間を使った方がずっといい。

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