コラム

感性を磨きたい(1)

これから、素晴らしい景色や、素晴らしい人を探しに行くにあたって、一つ考えていることがあります。その事象に出会った時、果たして自分はその素晴らしさを感じ取れるのだろうかと言うことです。

そのためにも、少なくとも、これからは直感的な面(右脳)と論理的な面(左脳)の両方の感性を磨いていく必要があると思っています。直感的な面は、いろいろな景色や人の生き様に触れることにより磨かれるような気がしています。一方で論理的な面に関しては、今までとは違う物の考え方を訓練しなければいけないのではないかと思っています。

今までは、白黒をはっきり付ける物の考え方をしていました。部下が迷わないように方針を明確に示して、それに対して良いものは良い、悪いものは悪いといった感じです。

しかし、これからは相反する2つのことが、どちらも正しいと思える物の考え方が出来るようになりたいと思っています。ノイマン型のコンピュータが1、0で論理を展開することに対して、量子コンピュータが1と0の重ね合わせの状態を持つ量子ビットで計算をするみたいな、そんな感覚で物ごとを見たり考えたりできたらいいなと思っています。

抽象的過ぎてよくわかならいと思いますので、すこし具体的に話をしていきたいと思います。

時間は、過去から未来に向かって流れているのか、それとも未来から過去に向かって流れているのか。

この相反する事象の両方が正しいと言える物の考え方、心の持ち用と言ったほうがいいかもしれませんけれども、この考え方を身に付けたいと思っています。

これまでいろいろな人に話を聞いてきた結果、大多数の人の感覚として時間は過去から未来に向かって流れていると感じていることがわかっています。

ところが考え方によっては、未来から過去に向かって時間が流れていると言うのも正しいと思えるようになります。そんなバカなとお思いでしょうけれど、これからその話をします。この物の考え方は、柔軟な発想をするために役に立つ考え方だと思いますので参考にしてください。

浅くて大きな川の真ん中に目を瞑って立っているところを想像してください。自分の足には冷たい水が当たっています。次から次に新しい水が自分の足に当たっています。

この川の水を時間に例えて考えてみましょう。先ほど自分の足に当たった水は自分の足からどんどん遠ざかっていきます。そう過去として過ぎていきます。そして、これから自分の足に当たろうとしている水があります。未来という時間ですね。

こう考えると自分より下流は過去、上流は未来ということになります。川の水は、上流(未来)から下流(過去)へ流れています。時間で言うと未来から過去に向かって流れていることになります。

どうでしょう。この話を聞くまでは過去から未来に流れていると思っていませんでしたか?

どうしてこのような考えの違いが出てくるのでしょうか。目を瞑って足に集中している状態、つまり主観的に考えた場合には、過去から未来へ流れているように感じ、川の中にいる自分も含めて川全体を見るという見方、つまり客観的に考えている場合には、未来から過去へと感じるのだと思います。両方正しいですよね。

このように俯瞰して物事を考えることによって、いずれか片方が正しいと言うのではなく両方とも正しいと考えることができるようになります。こんな感覚で物ごとを捉えて考える、そう言う訓練をすることによって論理面での感性が磨かれるような気がしています。

同じようなことを考えている人はいないのだろうかと調べた結果、苫米地英人という方が抽象度を上げるという表現を使って話をされていることがわかりました。

少し遠くから、全体を俯瞰するように物事を感じ取ってみる

このような物の考え方が大事なのではないかと思っています。

POSTED COMMENT

  1. かおるくん より:

    全然関係ないですが、ネタと思ってください。棚から落ちてきた「ぼた餅」に、あなたは気づくことが出来ますか? ➡️準備のない人に奇跡は起きない。

    • 内山正次 より:

      そう、そう。そう言う事なんですよね(^^)
      もったいないじゃないですか、せっかく行っても、その良さが理解できなかったら。
      コメントありがとうございます。ブログ作って初めて頂いたコメントです。

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