旅レポート

松坂城跡、本居宣長ノ宮、松阪神社、本居宣長記念館、本居宣長旧宅(鈴屋)、御城番屋敷

本日のサマリー

6日目:三重県松阪市

走行距離 5.4Km

今日は、松坂城跡で穴太衆の技術の高さを感じ、名前だけはよく知っていた本居宣長のことをよく理解しました。すごい人だったのだと思いました。

松阪市駐車場の朝です。昨日、満車に近い状態だった駐車場は閑散としていました。

入口の方には、誰も乗っていそうにない車がたくさん駐まっています。これは、その向こうに見える建物が、松阪市民病院で、ここの駐車場は病院の駐車場も兼ねているため病院に関係する人の車ではないかと思います。ここの駐車場の朝はグラウンドに朝早く来る人たちで賑やかになる時もあるようですが、今日はひっそりとしていました。ここは、よい車中泊ポイントであると思います。また利用させていただこうと思います。

この駐車場に車を駐めたまま、隣りにある松坂城跡を観に行きました。看板の写真に寄るとこのような石垣が残っているようです。

今回の旅から事前に下調べをして行こうと思っていたのですが、すでに後手に回っており調べていませんでした。行きながら、ここは蒲生氏郷(がもううじさと)が築いた城であることを知りました。蒲生氏郷と言えば穴太衆ではありませんか。きっと、石垣がすごいに違いないとワクワクしながら向かいました。(今村翔吾さんの「塞王の楯」を読んでいましたので知っていました)

表門から入城しました。表門が東にある城なんですね。

何だ!この野面積みの高石垣は!

すごいです。

これは、穴太衆が組んだ石垣ですね。

野面積みでありながら、打ち込み接ぎに近い美しさの石垣です。

助左衛門御門跡です。

眺望のいい城です。

どこを観ても美しい石垣です。

天守台です。

天守閣跡です。

本丸跡です。

きたい丸跡です。

本丸跡です。

裏門跡です。

明治5年(1872年)当時の裏門は、このように茅葺き屋根になっていますが、

1600年代中頃の記録には、この櫓門の例のように本瓦葺2階建の櫓門であったとの記録が残っているようです。

裏門を出ると

大きな灯籠が2つありました。そのひとつをよく見てみると、江戸 干鰯問屋と書いてあります。裏には安永9年と書いてありました。1780年ですね。ずいぶん古い灯籠だと思っていると、江戸干鰯問屋仲間が本居宣長に寄進した書家三井親和揮毫の常夜灯だそうです。

一度、松坂城跡を出て本居宣長ノ宮を参拝しました。

拝殿です。

本殿ともに神明造りでした。御祭神は、秋津彦美豆桜根大人(本居宣長)でした。

「敷島の大和心を人とはゞ朝日に匂ふ山桜花」の歌碑がありました。この歌は神風特別攻撃隊の隊の名前(敷島隊、大和隊、朝日隊、山桜隊)の元になった歌ですよね。本居宣長でしたね。思い出しました。

となりの松阪神社にも参拝しました。

拝殿です。

本殿が神明造りでした。伊勢神宮が近いから神明造りが多いのでしょうか。御祭神は、誉田別命(八幡神)と宇迦御魂神(稲荷神)です。

そのまま歩いて本居宣長記念館(鈴屋との共通券400円)に行きました。

古い地図大好き人間にはたまらない本居宣長が17歳の時に書いた地図がありました。伊能忠敬が2歳の時に描かれた地図です。その当時、地図はいろいろと出回っていましたが間違いが多く、本居宣長が間違いを正すために描いたものだそうです。測量をされたものではないので形は少し違いますが、かなり細かく、地名が正しく書かれた地図です。

自分が住んでいるところの地図です。裾野はありませんでしたが、サノ(佐野)が載っているのが、「えーっ」て感じです。

せっかくなので、主要都市を拡大したものを載せておきます。

名古屋

京都

大阪

福岡です。

これも、面白かったです。文字鎖というものらしいです。クリックで拡大できます。

資料室には、本居宣長に関する資料がたくさんありました。

天明3年(1783年)の世界地図です。本居宣長の作ではなく、部屋に貼ってあった地図だそうです。

日本は、こんな感じでした。

これは駅鈴(えきれい)と言って、本居宣長が石見国(島根)浜田藩主•松平康定から拝領したものです。お殿様から頂いた特別な鈴として宣長が大切にしたので、今では松阪の象徴となっているものです。いろんなところで見かけます。

本居宣長は、日本とは何なのかを求め続けたあげく、古事記に行き着きます。古事記について調べることを国学者である賀茂真淵に話したところ、まずは万葉集を読むことから始めるといいと指導されます。その時のことが、昭和のはじめの小学校の教科書には載っていたのだそうです。日本の教育は、すごかったのですね。

本居宣長が35年をかけて書いた解説書「古事記伝」です。

すごいと思います。

記念館のとなりにある本居宣長旧宅(鈴屋)です。

本居宣長が12歳の時から亡くなる72歳まで住んだところです。魚町にあったものを保存のため、こちらに移築されました。

このようなところで過ごしたんですね。

これは、「助炭」と言って木枠に紙を貼って火鉢や囲炉裏の上に置き、空気の入る量を少なくして炭火を長持ちさせる道具だそうです。そんなことをしたら一酸化炭素が出るんじゃないかと心配になりますが…。

肖像画がありました。

2階にある書斎には、入ることが出来ませんでしたが、外の石垣の上から中を覗くことができました。

次は、すぐ近くにある御城番屋敷を観に行きました。ここは、松阪城の警備を任務とする紀州藩士とその家族の住居として文久3年(1863年)に建てられたものです。

無料公開している家を拝見しました。

生け垣に囲まれた町並みです。

上から見ると、長屋のように複数の家がつながっているのがわかります。

ふたたび、城の中を通って、

駐車場へと戻りました。今朝は、あれほど空いていたのに満車に近い状態でした。

今日のお昼は、松阪市にある小池でいただきました。

らーめん880円です。普通に美味しかったです。普通の醤油ラーメンのスープにチャルメラのスープを混ぜると、こんな感じになるのではなかろうかと思うような味のスープでした。決して安っぽいという意味ではありません。焼き豚が柔らかくて美味しかったです。

松阪市にあるオークワ 松阪田村店で食材を調達した後、松阪市にある鈴の湯700円に行きました。

所感:タイル張りのスーパー銭湯です

浴場諸元 泉質:沸かし湯、内湯4(12㎡ こたつみかんの湯、1m x 1.6m ジェットバス2、1.5m x 4m ジェットバス5、12㎡ ジャグジー 電気風呂3(指圧 モミ 連続))、露天3(2.5m x 4m 炭酸泉、1m x 2m 薬用湯、1.5m x 4.5m マイクロバブル)、サウナ2(遠赤外線 高温)、水風呂1、洗い場33ヶ所

松阪市にある宝塚古墳公園 駐車場に着きました。4年前、ここに泊まったことがあります。今日は、ここに泊まります。古墳の近くであることが気にならなければ、コンビニが目の前にあるし、すき家も近いし、いいところだと思います。

では、また明日です。

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