旅レポート

三重県総合博物館(MieMu)、塔世山 四天王寺、津城跡、高山神社

三重県津市にある津城の模擬三重櫓

本日のサマリー

5日目:三重県津市〜三重県松阪市

走行距離 28.5Km

今日は、三重県総合博物館で三重県の成り立ちを学び、藤堂高虎に関わりのある四天王寺と津城跡を訪問しました。津城跡は石垣について学びたい人には最適なところですね。今日の旅で藤堂高虎をさらに知ることができました。

昨年末に、某テレビ局の方から、このブログにある早吸日女神社の写真を使わせてくれないかという問い合わせがあり快諾しました。昨晩、その写真を使った番組が放送されるというのでTVerで観ました。

出ました。このシーンです。お役に立ててよかったです(笑)

ちなみに、早吸日女神社の投稿は、こちらになります。

早吸日女神社、神崎八幡神社、築山古墳、亀塚古墳大分県大分市にある早吸日女神社 道の駅 みなとオアシス 八幡浜みなっとのトイレです。右が男性で左が女性です。非常に美しい設計で...

昨晩泊まった道の駅 津かわげの夜です。月曜日の夜に泊まった人たちは、こんな感じでした。

ここには、ゴミ箱が設置されています。ありがたいです。

朝は、もう少し明るくなってから撮ろうと思っていて、撮るのを忘れました。

津市にある三重県総合博物館(MieMu)の駐車場に車を駐めました。

三重県総合博物館(MieMu520円です。JAF割引は無くなっていました。

これミエゾウというらしいです。見えそうじゃないですよ。ミエゾウです。最初は冗談かと思っていたのですが、そうではないようです。国内で発見された最大の陸上哺乳類なのだそうです。約430〜300万年前に現在の東北地方から九州地方に生息し、大正7年(1918年)、津市芸濃町ではじめて発見されたとのことでした。まったく知りませんでした。

最初は三重県の地質に関するコーナーでした。

内容は、ほぼ知っているものだったのですが、石がいろいろ置いてあって参考になりました。

ぱっと見て、パレオパラドキシアかデスモスチルスだと思いました。パレオパラドキシアでした。この全身骨格は、岡山県で見つかったものだったのですが、手前にある歯と脛骨が津市で見つかったものでした。

正面の岩は、花崗岩と石灰岩でした。

江戸時代に全国から集まる参宮客と、その人達をお世話をする御師の様子をジオラマにしていました。このジオラマは、御師のうち最大の規模を誇った外宮の御師「三日市大夫次郎」の屋敷です。

総床面積は約800坪に及び、その壮大な屋敷全体を、30分の1程度の模型で復元していました。

その当時の人たちの様子がよく表現されていました。

ここは、興味のある人にとっては面白い施設だと思いました。

津市にある四天王寺駐車場2に車を駐めました。

塔世山 四天王寺です。

鐘楼堂です。

登って鐘を撞くことが出来ました。先日見た日本で12番目に古い鐘と比べて、竜頭(りゅうず:てっぺんの吊り下げる部分)と撞座(つきざ:撞木(しゅもく)が当たる部分)の位相が違っています。この写真にある位置関係が普通にあるもののようです。

お堂です。

その内部です。

天井には、塩澤文男さんの絵画が貼ってありました。モダンなお寺だと思いました。

その一方で、ここには、聖徳太子(鎌倉時代)と藤堂高虎、同夫人(江戸時代)の肖像画が展示してあります。藤堂高虎、同夫人の肖像画は、二代藩主 藤堂高次の寄進と伝えられていました。

藤堂高虎

藤堂高虎夫人

また、このお寺には織田信長の生母の墓である花屋寿栄禅尼墓と

藤堂高虎夫人の墓である久芳院墓がありました。

津市にある津市役所駐車場に車を駐めました。津城跡や津市津図書館を利用する人は、ここの駐車場に駐めてもよいようです。

図書館には、津城の資料があるようなので行ったのですが、本日休館日でした。

津城を観る前に、寿音でお昼をいただきました。

海鮮ちらし1,680円です。ここの板前さんは、お刺身をとても薄く切るのがうまいと思いました。他のものか、他のお店にすればよかったとふたりとも思うのでありました。

藤堂高虎は築城の名手と言われますが、石垣の名手でもあるようです。この算木積みは、もっとも崩れにくいと言われる縦横比2.5:1で出来ています。すごく美しいです。

下馬冠木門から入城しました。

文政3年(1820年)、第10代藩主藤堂高兌(たかさわ)は藩士やその子弟を教育するための藩校として有造館を創設しました。その中心である講堂の正門が、この門です。

戌亥三重櫓跡です。

「刻印」です。石を選定し切り出し、城で積むそれぞれの過程で付けられた目印で、それぞれ担当した石工集団の識別のため付けられたと言われています。

矢穴です。石を積みやすくするために割った痕です。

模擬三重櫓です。

石垣を延長したと言われていますが、この写真の右と左で違うのがわかります。写真ではわかりにくいかもしれません。

東鉄門です。

太鼓櫓台です。

埋門です。

藤堂高虎像です。「大手門を東に作ってはいけない」と言った藤堂高虎は、「銅像は南側に置いてほしくない」と思っているに違いないと思います。この像のように南側に(北向きで)置くと逆光になってしまうからです。

左側の布積み打ち込み接ぎがもともとあった石垣で、右側はお堀で橋がかかっていたところを明治以降に谷積みで積んだ石垣です。算木積みが隠れているところが面白いです。

途中で、藤堂高虎を祀る高山神社(こうざんじんじゃ)を参拝しました。

拝殿です。

藤堂高虎の花押と家紋の蔦が書いてありますね。

本殿です。

ふたたび城に戻り、手前が大天守台、奥が小天守台です。

模擬三重櫓です。

ひとつ上の写真の丑寅櫓跡がこの写真の左外にあり、右にあるのが戌亥櫓跡です。

その戌亥櫓跡です。

藤堂高虎の旗印である白餅三つがあるかなと思ったのですが、ありませんでした。石垣の基本と言われる積み方のほどんどを観ることができる、とても面白い城跡でした。

その後、津市にあるイオンモール津南で食材を調達した後、松阪市にある松阪市駐車場に着きました。グラウンドの横にある駐車場です。

ここのトイレは、とてもきれいです。今日は、ここに泊まろうと思っています。

では、また明日。

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