旅レポート

神戸城跡、彌都加伎神社、彌都加伎稲荷神社

三重県鈴鹿市にある神戸城跡

本日のサマリー

4日目:三重県菰野市〜三重県津市

走行距離 51.5Km

今日は、鈴鹿市にある神戸城(かんべじょう)跡を訪問しました。石垣とお堀しか残っていない城跡ですが、楽しめました。おかげで織田信長の三男、織田信孝(神戸信孝)を覚えました。

道の駅 菰野の朝です。曇りです。ここの駐車場をショートカットする車が歯を磨いている間に8台くらい通過していきました。

鈴鹿市にあるオークワ 鈴鹿高岡店(24時間営業)で食材を調達した後、

鈴鹿市にある神戸公園駐車場に車を駐めました。この周りには狭い道が多いので事前にGoogleマップの航空写真を見てルートを選択しないとナビからスパロンでは通れない道を指示されるかもしれません。自分は危うくそうなるところでした。

神戸城跡です。

伊勢平氏の流れをくむ神戸氏(かんべ)は、天文年間(1532~1555年)に神戸城を築いて飯野寺家町にあった沢城から、ここに移り、北勢に威を振るいました。

神戸友盛(とももり)は、織田信長軍の侵攻を受け、永禄11年(1558年)に信長の三男、信孝を養子に迎えて和睦します。家督を継いだ信孝は、天正8年(1580年)に金箔瓦を用いた5層の天守を築いたと伝わっています。しかし、本能寺の変後、信孝は、豊臣秀吉と対立して敗れ、知多半島で自刃して果てました。

江戸時代には、一柳(ひとつやなぎ)直盛、石川氏三代と城主が変わり、享保17年(1732年)に本多忠統(ただむね)が入部、幕末までの約140年間を本多氏が治めました。

城は、明治8年(1875年)に解体され、その後、城跡は神戸高校の敷地となりました。天守は、文禄4年(1595年)に桑名城に移された後、江戸時代を通して再建されず、今も石垣だけが残されています。

鏡石もありました。

野面積みで、隅部の石垣は算木積みにはなっていませんでした。

天守台です。

ここには5重6階の天守が建っていたそうです。

明治9年(1876年)に建てられた神戸信孝に関する石碑がありました。

天守台の裏に回ると石垣の材質が花崗岩主体に変わっていました。正面は砂岩が主でした。

石垣以外ではお堀が少しあり、

後は、公園になっていました。歴史を感じさせる小さな城跡でした。

鈴鹿市にある彌都加伎神社(みずがきじんじゃ)駐車場に車を駐めました。

ここが正面だと思ったのですが、

こちらの方が彌都加伎神社の正面のようです。

手水舎です。

ここは、いろいろなところに写真映えしそうな物が置いてありました。

拝殿です。鉄筋コンクリート製の神明造りですね。

本殿です。主祭神は、大土御祖神(おおつちみおやのかみ:大年神が天知迦流美豆比売を娶って生んだ大土神の別名)です。

境内にある彌都加伎稲荷神社も参拝しました。

今日のお昼は、鈴鹿市にあるわかカラ さつき温泉店でいただきました。

牛たん・つらみ定食1,500円と

はらみ食べ比べ定食1,500円を半分ずつ分けていただきました。

つらみというのが珍しいなと思ったのですが、牛の頬肉、こめかみ、頭部にかけてのお肉のことをこう呼ぶようです。甘く歯ごたえがあり、とても美味しかったです。他のお肉も美味しくて、この値段であれば満足です。ご飯はおかわり自由なのですが健康のため、おかわりはしませんでした。自粛しなければ2杯は余裕でいただける味です。

ご満悦おばさんは、もちろんのこと、自分もご満悦お兄さんになっていました。

今日のお風呂は、ここにある鈴鹿さつき温泉550円(JAF本人のみ500円)に行きました。

所感:町の銭湯と言った感じの温泉です。地元の方たちで賑わっていました。お湯は、わずかに褐色をしています。

温泉諸元 泉質:単純温泉(低張性 弱アルカリ性 高温泉)、加水 あり、加温 あり、濾過循環 なし、消毒 塩素系薬剤、pH8.3、源泉温度 49.3℃、メタけい酸 39.1mg、炭酸水素イオン 451.5mg、ラドン ーx 10^-10Ci/kg、内湯1(20㎡)、露天1(2m x 3m)、洗い場10ヶ所、とろみ度 なし 、気泡 なし

その後、津市にある道の駅 津かわげに着きました。

三年味噌がありました。道の駅で買う三年味噌は味噌屋さんで買うよりも安いですね。350gで440円でした。麦味噌の三年味噌が欲しかったのですが今回は米味噌です。

今日は、ここに泊まります。ここに泊まるのは4回目になります。

では、また明日。

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