会社に務めていた時には、朝の始業前に会社の体操をやっていました。最初は会社の推奨と言うことで始めたのですけれども、そのうちに若い社員がやっているのに上に立つものがやらずしてどうすると言う思いから率先してやっていました。
そのうちに、「そもそも何のために体操をやっているのだろうか」と、よく考えてみました。そして、遅まきながら、会社のためでもなく部下のためでもなく、自分の健康のためではないかと言うことに気付きました。(おせーよ)
そう思ったら、(体操をしていない)違う事業所に行っても恥ずかしがることなく出来るようになりました。他人の目を気にするのは本当に愚かなことだったのだと今改めて思います。
そして、会社を辞めてからは会社の体操の代わりにラジオ体操を始めました。そしてその前にストレッチ体操をやっています。会社を辞めて行くようになった市民体育館のジムで教わった12項目です。
ストレッチをやり始めて思ったのですけれども、体が硬いです。あらゆるところがここまでしか曲がらなかったかなと思ってしまいます。しかしやり続けることで柔らかくなるのだろうと続けていました。
あまり、柔らかくなりませんでした。そんなに簡単に曲がるようにはならないのです。
ところが、面白いことに気づきました。
体は、自分の体が壊れないように自分でブレーキをかけているようです。ある程度まで曲げると無意識にそれ以上曲がらないように力を入れて止めているようです。(組織にも反対勢力があるように体にも反対勢力がいるのだろうかと思ってしまいます)
なぜ、それに気がついたかと言うとこれ以上曲がらないと言うところでリラックスして「ふーっ」と力を抜くと今まで曲がる限界だと思っていたところから、すーっと体が曲がっていくのです。(そうならない関節もあります)
大発見です。
これを続ければ柔らかくなっていくに違いないと思っています。
と、ここで話が終わっては、面白くありません。もう少し考察をしましょう。
では、まだ曲げることが出来るにもかかわらず、力を入れて曲がらないようにしているのは何故なのでしょうか。体が壊れないようにと言う考えもあるでしょうけれども、限界点よりかなり前でブレーキをかけているようにも思えます。
限界点がわからないからなのか、普段運動をしていないからなのか理由はもう少し考えないとわかりませんけれども明らかに何か理由がありそうです。
肉体にこのようなブレーキ機構があるのであるならば、精神にも同じような機構が備わっているのだろうと思います。
物凄い衝撃的なことが起きた時、脳が情報を遮断したり、意識を失ったりするのだろうと思います。そのようなレベルにまで達しなくても無意識に避けたりする行動をとるに違いありません。やはり、精神のブレーキ機構はありそうな気がします。
もし、この考えが正しいとすると、リラックスして「ふーっ」と力を抜くとそのブレーキが緩んで…。
何が起きるのだろう。
もう少し考えてみたいと思います。(頭がおかしくなるかもしれません。笑)
いずれにしても、人の身体って面白いです。
自分はストレッチの先生でも何でもありません。単なる素人の思いつきを真に受けて無理やり体を曲げて故障しても当方は一切責任は持ちませんのでご自分の責任のもとおやりください。痛くなる前にやめた方が体のためであると思います。でも、もしやってみて本当にここに書いてある通りかもしれないと思ったら、その時はぜひ教えてください。