キリマンジャロに挑戦した話はすでにしましたけれども、その時に参加した人たちは、北海道在住のご夫婦、絶対に口から先に生まれてきたと思われる大阪のおばちゃん3人組、学校の先生など全国から集まってきた人たちでした。メンバーが8名であることは事前にわかっていたものの、どんな人たちなのかはアフリカへの経由地であるオランダ・スキポール空港に着くまでわかりませんでした。
なんと、会ってびっくり!
自分以外の人は、一番若い人がもうすぐ60歳の誕生日で、あとはみんな60代、一番年上の人は、69歳でもうすぐ70になるというおばさんでした。ただしどう見ても60くらいにしか見えないのです。当時40代で参加した自分はみんなから子供扱いされました。この歳で子供扱いされるなどとは全く思ってもいませんでした。それにしても、こんな年齢になってからキリマンジャロに挑戦するのかとびっくりしました。
ところが、一緒に過ごして思ったのですけれど、みんな若いのです。とにかく元気なのです。
子供の頃のイメージとして60を過ぎた人たちは、こたつでぬくぬく余生を過ごすと言った印象を持っていました。キリマンジャロに挑戦するこの時までそのようなイメージを心のどこかに持っていたのかも知れません。
しかし、今回一緒に行った人たちを見ていて、そのイメージは完全に払拭されました。そして気付きました。
人間は、自分が思っているように(持っているイメージに従って)歳を取って行くのではないだろうか。60歳になるとこたつで余生をと思っていると身体がそのようになっていくし、60代でアフリカ大陸最高峰に立つと思えば、それが可能な身体になるのではないだろうか。人間の身体は、能力的には120歳まで生きられるポテンシャルを持っていることが最近わかったと何かで読んだことがあります。
キリマンジャロから帰ってきて、自分もそう思って生きていこうと決めて生きてきたせいか、あと数年で60歳になるものの40代に見えると言われます。(お世辞かもしれません)
正直に言って、今の自分は気持ち的には30代くらいの感じなのです。
人間は、「できない」と思ったらできない人に、「できる」と思えば、それを可能にする人間になるものだと思います。若さも能力もすべて思ったようになるのだと思います。
できないのは、歳のせいではなくて、そう思う自分のせいなのです。
このコラムを書いていて、改めて気づいたことがあります。会社を辞めてから部屋を片付ける際に、自分にもしものことがあっても、子供たちに迷惑をかけないように思い切って身軽になっておこうと思いながら断捨離をしていました。これは近いうちに人生の終わりが来ると暗示をかけているようなもので良くないと気付きました。たぶん老けるのが早くなると思います。
そうではなくて日本中を旅できるように身軽になろう。そのために思い切って物を捨てようと考えることにしました。