つぶやき

糸魚川ー静岡構造線

写真はフォッサマグナパーク

旅をしていて、子供の頃覚えた糸魚川ー静岡構造線に関して大きな間違いを2つしていることに気づきました。

■糸魚川という川はない

糸魚川ー静岡構造線は糸魚川と静岡を結ぶ構造線と学んで以来、糸魚川という川があるのだと思っていました。そのため、なぜ静岡側だけ川じゃないのだろうかと不思議に思った記憶があります。例えば糸魚川ー安倍川構造線なのではないかと思ったりしていました。そして、今回新潟県と富山県を行ったり来たりしているうちに糸魚川を越えた記憶がないことに気づきました。そうなのです。糸魚川がないのです。実は、糸魚川市のことだったのです。

■糸魚川ー静岡構造線とフォッサマグナは同じではない

糸魚川ー静岡構造線とフォッサマグナは同じだと思っていました。おそらく、そう習ったのだと思います。正しくはフォッサマグナは糸魚川ー静岡構造線と柏崎ー千葉構造線および新発田ー小出構造線の間の部分を指す言葉でした。(ただし東側がどこかには異説あり)つまり糸魚川ー静岡構造線はフォッサマグナの西側の端を指す言葉だったのです。

フォッサマグナパークにあった看板の写真を引用して説明すると次のようになります。

約2,000万年前、日本列島はアジア大陸の一部でした。(写真左)その後、約1,700万年前までの間、日本列島はユーラシアプレートの沈み込みに伴い、アジア大陸から引きちぎられました。(写真右)

ユーラシアプレートの南東は太平洋プレートとフィリピン海プレートの2つ異なるプレートに面していたため、日本列島は約1,600万年前にかけて西日本と東日本に別れてしまいました。(写真左)その後、数100万年かけて西日本と東日本の間には砂や泥が堆積していきました。そして、数100万年前、伊豆半島を伴ってフィリピン海プレートが日本列島に押し寄せた際に堆積物が隆起し今の形になりました。

この堆積物が隆起する際に西日本、もしくは東日本の一部が引きちぎられて関東山地としてフォッサマグナの中央部に残る形で圧縮されたと考えられています。

フォッサマグナの断面はこの絵のようになっていると考えられています。石油の掘削のためのボーリングが6,000mまで行われていることから、フォッサマグナは少なくともそれ以上の厚みがあることがわかっています。

つまり、このフォッサマグナパークの東西の境目(写真中央)は、糸魚川ー静岡構造線であり、西側の灰色部分が3〜4億年前の岩石、東側の茶色い部分が約1,600万年前の岩石であるフォッサマグナとなります。

おそらく同じ間違いをしている人が少なからずいるのではないかと思います。

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