浅野七之助さんの写真は盛岡市ホームページより引用
概要
浅野七之助さんは、大東亜戦争後の貧困に苦しむ日本への支援物資事業の実現に尽力された方です。この支援物資をララ物資と呼び、浅野七之助さんはララ物資の父と呼ばれる人です。
どんな人なのか
浅野七之助(あさのしちのすけ)、1894年11月29日 – 1993年3月6日 岩手県盛岡市新穀町出身
アメリカのサンフランシスコで新聞記者として日系人の権利獲得のために活動されました。戦後の日本の惨状を知った浅野さんは在米日系人に呼びかけて食料品などを集め日本戦災難民救済運動を開始されます。これがのちのララ支援物資へとつながります。
ララ物資とは
LARA(Licensed Agencies for Relief in Asiaの略、アジア救済公認団体)とは、大東亜戦争後のアジア、特に日本、朝鮮および沖縄の人々の救済を行う事を目的に結成された組織であり、アメリカの宗教団体、社会事業団体、その他労働団体などが加盟していました。
そのLARAがアメリカ、カナダ、メキシコ、ブラジル、アルゼンチンなどの海外在住の日本人や日系人などから集めて送った支援物資のことをララ(支援)物資と呼びます。
ララ物資には、食料品、衣料、医薬品、その他雑品があり、1946年から1952年までの6年の間に総量約16,000トン以上、当時の金額にして400億円に相当する物資が日本に贈られました。数にして1,400万人がその恩恵に預かったと言いますから驚きです。その第一号はハワード・スタンズペリー号で1946年11月30日に横浜新港埠頭に着岸します。
写真は、横浜新港埠頭にある「ララ物資」の記念碑(写真コミュニティサイト フォト蔵より引用)
1946年11月30日付の読売新聞にはララ物資について「米國のアジア救済機関から日本の困窮者におくる寄贈品」という記述があり日系人から寄贈品である事は全く触れられていません。おそらくGHQの占領下なのでそういう記述になったのだろうと思い調べてみたところ、やはりそのようでした。
和光大学の奥 須磨子教授の資料によると
GHQは救援物資の輸入を認めるが、ララ代表は日本における行動に関してはGHQの管轄下に入り、その指令のみに従うというものである。すなわちGHQの強い統制下で、ララは本格的活動を開始したのであった。ただし、GHQによる統制は、1949年10月20日付けGHQの日本政府宛「ララ救援物資の受領並配分に関する覚書」(SCAPIN2054)によって、1950年4月1日以降大幅に緩和された。
とあります。いろいろ苦労をされた中での配給だったのだろうと思います。
学校給食開始との関係
日本の給食は、ララ物資から始まったという人がいます。これは正しくはありません。日本の給食が始まったのは1889年(明治29年)です。試行的な取り組みとして行われていたものが1941年(昭和16年)に全国に広まります。しかし大東亜戦争による食糧不足のため学校給食は中止となりました。
戦後になって1946年12月24日、ララからの給食用物資(脱脂粉乳や缶詰など)を使った試験的な学校給食が開始され、翌年の1947年1月に全国の児童300万人に対して行われるようになりました。ララのおかげで学校給食をいち早く再開できたというのが正しいようです。
脱脂粉乳は、アメリカで余っていたから日本に出荷したと言う話を何かで読んだ記憶がありました。確かにそのような時期もあったのかもしれませんけれども、少なくともララ物資が日本の児童の栄養不足を解消するために大いに役に立ったことは間違いありません。
ところで、この脱脂粉乳は、子供の頃に給食で飲んだ記憶があります。子供ながらにそういう飲み物だという認識だったからか、不味かったのかどうかの記憶はありません。ただし、しばらく置いておくと表面に膜が出来たという記憶があります。久しぶりに飲んでみたくなり買いました。今、脱脂粉乳(スキムミルク)を飲みながら買いています。そんなに言うほどまずくはありません。表面に膜を張る気配がないので昔の脱脂粉乳から改善されているのかもしれません。
4月21日訂正追記:適正な濃さで作った脱脂粉乳は、しばらく置くと膜が張ることがわかりました。最初に作ったものは薄かったようです。気に入って牛乳の代わりに毎日飲んでます。
他にもこんな話があります
- ララ物資を日本に贈るためにアメリカの高校では、週に一回お昼を抜くという活動をしていたところがあるようです。(阿部志郎 青山学院大学名誉博士)
- 奥様は、南足柄市塚原の出身で、なかさんと言います。(「ララ物資」誕生の真相の著者である古屋達夫さんの記事より。古屋さんは、なかさんのお姉さんの御子息)
これからの調査予定
- 南足柄市立図書館
「ララ物資」誕生の真相(古屋達夫編)を閲覧したいです。 - 神奈川県立図書館
一次資料を始めとしてララに関する資料があるようです。 - JICA横浜 海外移住資料館
2014年に特別展示をやっているので、何か資料がないかを確認の上行ってみたいです。
私はララ物資を知りませんでした。いろいろ調べた結果、このララ物資が食糧不足で困っていた多くの日本人を救ったという事を知りました。その実現に向けて取り組まれたのが浅野七之助さんであり、その功績に痛く感銘し、ここに感謝の気持ちを込めて紹介させていただきました。
横浜在住ですがララ物資を初めて知りました。このような素晴らしい日本人が海外で活躍してきたから、世界中から信用される今の日本に繋がっているんですよね。感謝です。
なお記事のLivensed→Licensedです(何ヵ月も前の記事にコメントしてすみません)
コメントありがとうございます。一番間違っては行けないところを間違ってしまいました。早速修正させていただきました。ご指摘いただき感謝します。