旅レポート

田原坂公園、田原坂西南戦争資料館、玉名天望館、江田船山古墳公園、肥後民家村

写真は、和水町にある江田船山古墳公園

道の駅 すいかの里植木の朝です。こう言った景色を観ながら歯を磨くことができるのは、ものすごく幸せなことなのだと思いながら歯磨きをしました。ちなみに後側には、昨日皆既月食だった満月が明々と輝いていました。

今日も快晴です。ここの道の駅はトラックと乗用車のエリアの分離もしっかりできているし、新しくてきれいだし、車中泊には向いている道の駅です。

今日は、まず熊本市にある田原坂公園に行きました。公園駐車場があります。

西南戦争戦災の土蔵を復元したものです。銃弾の痕が痛々しいです。中は日本赤十字社に関する展示物が置かれていました。熊本は日赤発祥の地だそうです。

西南の役戦没者慰霊之碑です。よく見えないと思いますが後の塀のようなところには戦没者名が記載されています。

官軍、薩軍合わせて14,000名の方が亡くなられました。立場は違っても國の将来を思って戦い命を落とされたことは史実として語り継がれていかれなければいけないと思いました。

ここが田原坂です。向こうからこちらに向けて高くなっています。

この辺りの地形の模型を展示したパノラマガーデンに行ってみました。この写真の中央から左上にかけての坂が田原坂になります。今いるところは左上になります。

熊本市田原坂西南戦争資料館300円が9時前に開館となりました。団体さんが説明を受けるというので一緒に話を聞かせていただきました。

日本史は嫌いだったので、西南の役という言葉は知っているものの、どういうものなのかは詳しく知りませんでした。今回、いい勉強になりました。

薩軍の銃は旧式で、薩軍が1発撃つ間に官軍は5発撃つことができたそうです。外国製の銃の展示風景です。

いろいろなところを訪問して、その時代の出来事を学ぶのですが点で知識を学んでいるので、しばらくすると忘れてしまいます。いずれ、歴史の点と点を結んで線となり面となるように学んでいきたいと思います。

次に玉名市にある玉名天望館に行きました。この建物は高崎正治氏の設計になります。コンクリート打ちっぱなしの複雑な形をした建物でした。

次に荒尾市にある「ふくやまベーカリー」に行きました。ここは、以前テレビ番組の「世界!ニッポン行きたい人応援団」で観たお店だからです。テレビで観た時の人たちはいませんでした。テレビで放映したことによって、繁盛して多くの人を雇ってやっているのだと思います。

あんぱんとメロンパン(各140円)を買いました。これが今日のお昼ご飯になりました。いずれも半分ずつです。あんぱんが美味しかったです。メロンパンは、カミさんによると普通のメロンパンではないとのことでした。自分はパンをあまり食べないのでコメントできません。

荒尾市にあるゆめタウンシティモールとおべんとうのヒライ荒尾店で食材を調達したあと、早めに道の駅に着いてゆっくりしようと思い、和水町(なごみまち)にある道の駅 きくすいに行きました。一部工事中で防災トイレを作っているようでした。

ここには、菊水ロマン館という野菜などを売っているお店があります。ここの2階が温泉だったのですが、今は故障中で再開の目処が立っていないようです。24時間トイレはこちらにはなさそうで、隣にある駐車場側にありました。

この駐車場なのですが、工事のためのプレハブが建っていて少し狭くなっていました。駐車場に車を駐めたあと何気なく上を見ると古墳のようになっているではありませんか。なんと、ここには江田船山古墳公園という広い公園がありました。

たくさんの樹が生えているところがあると思ったら、江田船山古墳でした。

ドアを開けて石棺を見ることができるようになっていました。

ガラスの中に家形石棺がありました。

アップで撮ってみました。古墳時代に見られる石棺の一種で、この目で確認することは出来なかったものの内部の一部などに朱色の塗料が残っているようです。

隣に京塚古墳がありました。きれいな形をした古墳です。

さらに散策をすると、肥後民家村という古民家がたくさんあるところがありました。

もうすぐ閉館のため、古民家の戸締まりをされているところでした。ここの旧布施家住宅だけは中を観ることができました。

庭の紅葉が美しい古民家でした。

他にもたくさん古民家があったのですが時間切れで観ることができませんでした。もっと早く来ればよかったです。

その後、道の駅 きくすいに戻りました。今日は、ここに泊まります。

では、また明日です。

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