温泉から出ると、いつも本を読みながら待っているカミさんの姿がありませんでした。どうしたのだろう。そう思いながら温泉の待合室の椅子に座って待っていると、何やらそわそわしたカミさんがやってきました。
「靴箱のカギがない」
先ほどから、自分が通ったところを探しているものの、見当たらないのだそうです。僕は、まあ、そのうち出てくるだろうとあまり気にはしていませんでした。しばらく探しても出てこないので、カミさんとフロントに相談に行きました。
「カギを開けるために実費3,000円を、お支払いいただくことになります」
その言葉は、かみさんに事の重大さをわからせるには十分なものでした。そして僕に取っては、ちょっと真面目に探すかと思わせるものでした。
ちょうど、フロントには新しい客が来て、係員がその対応で追われているうちに、もう一回最初から探してみることにしました。
カミさんが座っていたロビーの椅子の隙間に手を突っ込んで隙間に入っているものを片っぱしから取り出す僕。そこからは綿ぼこりとともにイヤホンのジャックなど、おそらくこれをなくして困っている人がいたのだろうと思わせるものがたくさん出てきました。
しかし、カギは出てきませんでした。
30分は過ぎた頃でしょうか、探しあぐねている僕たちのところにフロントの係員がやってきました。
これから私がカギを開けて差し上げます。お金は入りません。
その代わり、このあとカギが見つかっても、こちらに電話をかけないでください。
黙って元のロッカーに挿しておいてください。その際、うちの係員にも何も言わないでください。
そうなのです。その青年の一存でカギを無料で開けてくれるというのです。何と素晴らしい青年なのだろうと思わずにはいられませんでした。その青年の後ろから御光がさしているようにも思えました。
その後、その通りにしてもらって、温泉をあとにした僕らは25Km先の道の駅にたどり着きました。
それから、道の駅を見たり、周りを見たり、ブログを書いたりし時間が過ぎました。カミさんがトイレから帰ってくるなり、「カギがあった。さんざん探してなかったのに、ズボンからコロンとトイレの床に落ちてきた」と興奮気味に語ります。温泉でズボンを脱いで確認してもなく、これまで2回トイレに行っても出て来なかったのです。
しかし、カギはどこからともなく現れました。
おそらく、ベルトの間に挟まって、探している間には取れなかったものが、取れたのだろうということになりました。
そうだ。返しにいかなければ。
25km戻ることになるけれども、明日の朝、少し遅めに出発して温泉の開店時間に合わせて返しに行こう。いや、まだ開いている。これから返しに行こう。そうして25kmを戻って返しに行きました。
青年がいたら、他の人に気づかれないように頭だけ下げてくるはずが、車に戻ってきたカミさんの話によるとフロントには違う人がいたとのことで、言われた通り黙ってカギを挿して帰ってきたとのことでした。
ふたたび道の駅に戻る途中、僕らは素晴らしすぎる青年の対応についての話で盛り上がりました。
しかし、あまりにも淡々と事務的に対応を説明されたことに対して、僕としては引っかかるものがありました。カギをなくすということはそう頻繁に起こることではないでしょう。それであるにもかかわらず、説明がまるで何かの台本を見て話しているのではないかと思うくらい、簡潔明瞭で、しかもスラスラだったのです。
待てよ。あの時点でカミさんの持ち物はかなり探したので、カミさんがカギを持っている可能性はかなり低い。となれば、カギは建物の中のどこかにあるはずです。なぜなら建物からは一歩も外に出ていないのですから。そして、いずれ、どこからか出てきて温泉の人のもとに戻るはずです。ロッカーの数は非常に多いのでひとつ使えなくなったところで特に支障は出ないと思われます。もっと言えばカギは掛からなくても靴箱としては機能しますし、もともとカギがない靴箱を使っている温泉もたくさんあります。
となると、そもそもカギを無くした時の代金はもらうつもりはなかったのではないでしょうか。代金をいただくと書いておかなければカギの管理を粗末にする人がいるのでそう書いているだけではないのでしょうか。そう思えてきました。
でも、それならば、「今回は代金はいいので、もし出てきたらこちらに持ってきてください。そして、このことは他言しないでくださいね」そう言えば良さそうな気もします。
なぜ、青年が青年の一存でカギを開けてくれたことにしなければいけなかったのでしょうか。
青年の責任で開けてくれたとなれば、それは絶対に他言できないからではないでしょうか。そう思えてきました。
これは非常にうまい対応だと思いました。この対応をされた客の温泉に対する好感度は増しますし、今後はカギの管理を十分気をつけるようになります。ましてや他言されて他の利用者によるカギの管理意識の低下につながる事態にもならないのです。
これは、他のことにも応用できる事例ではないかと思いました。
たとえば、部下が失敗をした時、あるいは自分が迷惑を被った時などに応用できる大人の対応のひとつなのだと教えられた気がしました。
今回の件に関しては、その青年にも感謝しますし、この対応が業界の隠れた裏マニュアルによるものだとしたら、それはそれで業界に対して感謝したいと思っています。
このような配慮ができる青年、もしくは業界があることを日本人として誇りに思う出来事でした。海外では絶対にない対応でしょう。いや、リッツカールトンならあり得るかもしれません。(本で対応の素晴らしさを読んだだけで、泊まったことはないのですけれど)
その日を境に、ロッカーのカギの管理をしっかりするようになった人が誕生したのは言うまでもありません。