セレンディピティと言う言葉をご存知でしょうか。
この言葉ができるもとになった話を紹介しましょう。
むかしむかしの話です。スリランカに王様がいました。王様には三人の男の子、いわゆる王子がいました。この王子たちは大事に育てられ立派な青年になりました。しかし、王様はそれに満足せず、王子たちを育てるために旅に出ることを命じました。
王子たちは、旅先である男と出合います。男は王子たちに、「ラクダがいなくなってしまったけれど知らないか」と尋ねます。王子たちは、そのラクダを見たことはありませんでした。しかし、
一番上の王子は、「そのラクダは、片方の目が不自由だったでしょ」
二番目の王子は、「そのラクダは、前歯が一本なかったでしょ」
三番目の王子は、「そのラクダは、足が不自由だったでしょ」
と言います。
男は、三人の王子が言うことが正しかったので、王子たちがラクダの居場所を知っているに違いないと尋ね、言われたあたりを探してみました。しかしラクダはいません。男は、再び王子たちの場所に戻ります。三人の王子は、さらにラクダの特徴を言い当てました。男は、ここまで知っていて、言う通りにラクダを探しても見つからないのは、この王子たちがラクダを盗んだものだと確信し、王子たちを訴えました。王子たちは兵隊にとらえられ、その国の皇帝から死罪を言い渡されます。
しかし、その後ラクダが見つかりギリギリのところで死罪を取り消されました。
ラクダを見てもいないのに、 特徴を書い当てることができたことを不思議に思った皇帝は三人の王子に理由を聞きます。
「道端のよく生えた方の草は食べられておらず、よく生えていない方の草が食べられていたので、片方の目が不自由なんだと思いました」
「歩幅間隔で、ちょうどラクダの前歯一本分と同じ食べ残しがありました。そのため前歯が一本ないのだと思いました」
「引きずったような足跡がありました。そのため足が悪いのだと思いました」
これらの理由を聞いた皇帝は、何気ない周りの状況からラクダの特徴を言い当てた王子たちのその洞察力を高く評価し、 自分のもとで重用することにしました。
物語は続きます。興味のある方は本を買って読んでください。そんなに長い話ではありません。「セレンディップの三人の王子たち」、「セイロンの三人の王子の物語」といった本があります。
ところで、スリランカは、アラビア語でセレンディップと言います。この本を読んだ英国の作家、ホーレス・ウォルポールは、本来の目的ではない別なものを「偶然と智恵」によって発見することを「セレンディピティ」と呼ぼうと提案しました。現在、「セレンディピティ」という言葉は、予想外のものを発見することなどをさす言葉として科学の世界でよく使われます。しかし、最近では人と人との思いがけない出会いなどにも使われるようになりました。人と人との繋がりがさらに人を呼び自分がやりたい事を実現させるに最適な人に巡り合えたらどんなに素晴らしい事でしょう。それも一重に日頃の努力なのだろうと思います。
そのためには、ずっと考え続ける、些細なことにも気をくばると言ったことが大事なのだと思います。
仕事をしていた頃は創造することが使命でしたので、セレンディピティを新しい技術や機能を考え付くというイノベーション的な観点で使っていました。これからは、このブログの設立の趣旨にあった素晴らしい人との出会いがあるようにセレンディピティを発揮できたらいいなと思います。